炊飯器や電気ポット、真空断熱ボトルなど、暮らしの中で「温度」と向き合ってきたタイガー魔法瓶株式会社。同社が培ってきた真空断熱技術はいま、宇宙実験サンプルを地上へ運ぶための温度管理にも生かされている。きっかけは、国際宇宙ステーション(ISS)から戻る貴重なサンプルを、電源に頼らず一定の温度を保ちながら運べないかという、JAXAからの相談だった。日常の保温・保冷を支えてきたその仕組みは、この挑戦を通じて、貴重なサンプルを「温度ごと守って運ぶ」ものへと射程を広げていった。宇宙への挑戦は、同社の技術の見え方と事業の広がりをどのように変えたのか。タイガー魔法瓶 R&Dマーケティンググループ統括マネージャーの南村紀史さんに聞いた。(文=JMPプロデューサー 長谷川 浩和)
お話を伺ったのは

タイガー魔法瓶株式会社
R&Dマーケティンググループ統括マネージャー
南村 紀史さん
真空断熱技術を活用したBtoB・産業機器分野の事業開発を推進。ステンレス密封真空断熱パネル「TIVIP」のプロジェクトリーダーとして、物流・医療輸送・建設分野などへの応用に取り組む。JAXAベンチャーのツインカプセラとの超断熱保冷容器「BAMBOO SHELLter」の開発にも携わり、100年以上にわたり培われてきた真空断熱技術を、宇宙関連用途へと展開している。
タイガー魔法瓶株式会社と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは、炊飯器や電気ポット、電気ケトル、真空断熱ボトルといった製品だろう。いずれも、日々の暮らしの中で「温度を保つ」ことに関わる製品である。
その同社がいま、宇宙実験サンプルを地上へ運ぶための真空断熱容器の開発に関わっている。一見すると、日用品メーカーと宇宙実験サンプル輸送の距離は遠い。しかし、その間には接点がある。タイガー魔法瓶が100年以上にわたり磨いてきた真空断熱の知見だ。
南村紀史さんが責任者を務めるR&Dマーケティンググループは、同社の技術をBtoBや産業機器分野へ展開する役割を担う。
「もともとタイガー魔法瓶は、炊飯器や電気ポット、電気ケトル、ボトルなどのコンシューマー向け製品が事業の中心です。一方で、私たちのグループでは、培ってきた技術をBtoBや産業機器の分野へどう広げていくかを考えています。技術開発だけではなく、企画や事業提案まで一体で担っているのが特徴です」(南村さん)
真空断熱技術の基本は、熱の移動を抑えることにある。容器の内側と外側の間に真空層をつくることで熱の対流を抑え、熱を伝えにくい素材や金属箔などを組み合わせることで、伝導や輻射も抑制する。
魔法瓶が、温かいものを温かいまま、冷たいものを冷たいまま保てる理由はここにある。ただ、その用途は飲み物の保温・保冷にとどまらない。温度を保つ必要がある場面は、産業の中にも数多く存在する。その一つが、宇宙実験サンプルの輸送だった。
魔法瓶容器では、二重構造の間を真空状態にし、銅箔などで輻射熱を抑えることで、高い断熱性能を実現している
タイガー魔法瓶が宇宙領域に関わるきっかけとなったのは、JAXAから寄せられた一つの相談だった。国際宇宙ステーション(ISS)日本実験棟「きぼう」で行われた実験サンプルを、鮮度高く地上へ持ち帰る。そのために、電源に頼らず一定の温度を保てる容器が必要とされていた。
当時、ISSからサンプルを持ち帰るには、米国やロシアを経由し、筑波のJAXA施設へ戻るまでに2週間ほどかかることもあったという。宇宙空間でしか得られない貴重なサンプルを、より短い時間で、適切な温度環境を保ちながら運ぶことはできないか。そこで着目されたのが、電源を使わずに温度を保てる真空断熱技術だった。
「私たちから『この技術を宇宙で使ってください』と売り込んだわけではありません。JAXAさんから相談をいただいたことが、最初のきっかけでした」(南村さん)
ただし、示された条件は、日用品の開発とは大きく異なっていた。求められたのは、4℃を4日間維持すること。そして、着水時の衝撃である40Gに耐えることだった。複数日にわたる温度維持も、宇宙から戻るカプセルの衝撃を想定した強度設計も、これまでの製品開発とは大きく異なる条件だった。
結果、タイガー魔法瓶は検討を重ね、挑戦する道を選んだ。
「最初から確かな見通しがあったわけではありません。それでも、条件を一つひとつ検討しながら、一緒にチャレンジしていこうということでお受けしました」(南村さん)
この判断の背景には、過去の経験があった。タイガー魔法瓶は宇宙案件に先立ち、トヨタ自動車やデンソーとともに、車載用の蓄熱容器の研究開発に取り組んでいた。日用品の枠を超え、真空断熱技術を自動車領域へ展開した経験があったからこそ、宇宙という未知のテーマにも、遠い世界の話としてではなく、技術の延長線上にあるテーマとして向き合うことができた。
さらに、同社にはもともと、真空断熱技術を日用品だけに閉じ込めず、社会のさまざまな場面に生かそうとする考えがあった。宇宙への挑戦は突然舞い込んだ相談だったが、同社にはそれを受け止める素地があった。
日常で使う真空断熱ボトルと、宇宙実験サンプル輸送に使われる真空二重断熱容器。その間には、どのような違いがあるのか。南村さんによれば、基本となる技術は大きく変わらない。差が表れるのは、その技術をどのような条件で使うかにある。
「基本の部分は、日常用のボトルとほとんど変わりません。ただ、複数日にわたって温度を維持するために、蓄熱剤を併用する。さらに長期間維持するために、真空断熱容器大小2つを互い違いにかぶせて使う。そこが大きな違いです」(南村さん)
日常用のボトルでは、朝入れた飲み物を夕方まで温かく、あるいは冷たく保つといった使い方が想定される。一方、宇宙実験サンプル輸送では、複数日にわたって目標とする温度を維持しなければならない。
そのため、宇宙用容器では蓄熱剤を組み合わせる。サンプルそのものの熱容量だけに頼るのではなく、維持したい温度に合わせた蓄熱剤を使い、容器内部の空間全体を安定した温度に保つ。
さらに、大きな真空断熱容器の中にもう一つの容器を入れる「ボトルインボトル」の構造を採用した。真空断熱容器は、胴体部分の断熱性能が高い一方で、口元やキャップ部分が熱の逃げ道になりやすい。二つの容器を重ねることで、その弱点を補い、長時間の温度維持につなげている。
ガラス製やステンレス製魔法瓶の開発により磨かれてきた保温・保冷の知見は、宇宙関連用途をはじめ、医療、物流、建設などの産業分野にも応用されている
宇宙用では、輻射熱を抑えるための特殊な処理も加えられた。市販のボトルでは、性能とコストのバランスが欠かせない。しかし宇宙用では、まず求められる性能を満たすことが優先される。
日常の水筒と宇宙用容器は、まったく別の技術ではない。同じ技術の延長線上にある。ただし、その先へ進むには、温度を保つ時間、衝撃への耐性、輸送環境といった条件を一つずつ乗り越える必要があった。
開発で大きな壁となったのが、40Gの着水衝撃に耐える強度設計だった。
真空断熱ボトルは、日常生活の中で落下する可能性を想定して設計されている。しかし、宇宙から戻るカプセルが海へ着水する際の衝撃は、日用品で想定する落下とは大きく異なる。容器に求められたのは、強度だけではなかった。中のサンプルを守り、温度を維持しながら、宇宙から地上へ戻る一連の工程に対応する必要があった。
「ここまでの広口の容器をつくること自体も初めてでした。40Gに耐える強度設計も、大きな課題でした」(南村さん)
この難しさを乗り越えるために、同社は外部の専門性も取り入れた。JAXAが持つ宇宙開発の知見に加え、強度解析や熱解析などのシミュレーション技術を活用しながら、設計を詰めていった。
これまでの製品開発では、長年積み上げてきた知見をもとに、既存製品を改良していくことが多かった。しかし、宇宙用容器では前例のない条件に向き合う必要がある。経験則だけでは届かない領域に踏み出すため、ものづくりのプロセスそのものも変わっていった。
「従来は、既存機種があり、おおよその性能も理解したうえで改良していくことが多かったと思います。今回は一からやるにあたって、シミュレーションの力を大きく借りました。そこが、新たなものづくりの仕方でした」(南村さん)
宇宙への挑戦は、高い要求水準に応えるだけの開発ではなかった。自社の知見に外部の専門性を掛け合わせながら、前例のない条件に向き合う。その経験は、同社に新たなものづくりの手応えをもたらした。
最初のミッションを終えると、プロジェクトはすぐに次の段階へと進んだ。第二弾では、商用利用を前提に、軽量化や繰り返し利用といった要素も求められた。2021年からは商用利用が始まり、現在はSpaceX社のドラゴン宇宙船で、20℃、2週間という条件での輸送にも使われているという。
この経験は、タイガー魔法瓶にとって、真空断熱技術の見方を変える転機となった。それまで真空断熱技術は、主に飲み物の保温・保冷を支えるものとして認識されてきた。
しかし、宇宙実験サンプル輸送では、その役割が変わる。守るべきものは飲み物ではない。宇宙空間でしか得られない、貴重でデリケートな実験サンプルである。必要なのは、単に温度を保つことではなく、一定の温度環境ごとサンプルを守り、目的地まで運ぶことだった。
「真空魔法瓶の見え方が変わりました。これまでは、お湯やお水を入れるものという見方が中心でしたが、ものを入れられる、運べるという見方になった。輸送という方向に広がったのは、この経験があったからです」(南村さん)
真空断熱技術は、宇宙への挑戦を通じて「温度を保つ技術」から「温度を守って運ぶ技術」へと意味を広げた。その視点の転換が、医療や物流といった新たな事業展開の土台になっていった。
宇宙で見いだした温度管理輸送の視点は、地上の課題ともつながっている。
その一つが、医療検体輸送である。医療の現場では、さまざまな温度帯で運ばなければならない検体や試料がある。こうした課題は、日本国内に限らない。世界には、電気インフラが十分ではない地域もある。電源を使わずに一定の温度を保てる真空断熱技術は、そうした環境でも価値を発揮する可能性がある。
「宇宙用に開発した技術を宇宙以外の分野にいかに活用できるかも事業における重要な課題でした。いかに社会貢献できるか、社会実装できるかを考えたとき、医療検体輸送に貢献できるのではないかと考えました」(南村さん)
JAXAベンチャーである株式会社ツインカプセラとの連携も、その流れの中にある。ツインカプセラは、JAXAの小型回収カプセルプロジェクトで培われた断熱保冷技術を、地上の課題解決に生かすことを目指して設立された企業である。同プロジェクトをきっかけにタイガー魔法瓶との連携を深め、2025年2月には超断熱保冷容器「BAMBOO SHELLter(バンブーシェルター)」をリリースした。宇宙実験サンプル輸送で得た知見を、医療検体や医薬品などの温度管理輸送へ展開する取り組みだ。
ツインカプセラ社の超断熱保冷容器「BAMBOO SHELLter」。タイガー魔法瓶の真空断熱技術を生かし、医療検体や医薬品などの温度管理輸送に対応する
物流分野でも、温度管理の重要性は高まっている。年々暑さが厳しくなる中、従来「常温輸送」と呼ばれていた領域でも、荷台の中が高温になり、品質維持が難しくなるケースが出てきているという。冷蔵・冷凍だけではなく、常温とされてきた領域にも、温度管理のニーズが広がり始めている。
そこで活用が期待されるのが、ステンレス密封真空断熱パネル「TIVIP(ティビップ)」などの技術である。真空断熱の考え方を、ボトルや容器だけでなく、パネルや輸送ボックス、建築・コンテナハウスなどへ広げていく。同社が見据える用途は、宇宙にとどまらない。
「冷蔵・冷凍輸送だけでなく、これまで常温輸送と呼ばれていた領域でも、夏の気温を考えると、もはや常温の範囲に収まらない状況が出てきています。そうした輸送の課題にも貢献していきたいと考えています」(南村さん)
地上で磨かれた技術が宇宙で試され、そこで得た知見が再び地上の課題解決へと生かされる。タイガー魔法瓶の取り組みは、その循環の中で新たな事業へとつながり始めている。
「BAMBOO SHELLter」は、輸送条件に応じて3つのタイプから選択できる。コンパクトな設計と高い保冷性能により、医療検体などの温度管理輸送におけるラストワンマイルの負担軽減にもつながる
宇宙事業に関わった価値について、南村さんは技術面の前進だけでなく、社内の意識にも変化があったと語る。
開発面では、複数日にわたる温度維持、大型容器の設計、シミュレーションを活用した強度設計など、日用品の開発だけでは得にくかった経験があった。真空断熱ボトルは、飲み物の温度を保つものから、サンプルや検体を守って運ぶ容器へと見え方を変えた。
もう一つ大きかったのが、挑戦に対する社内の感覚だ。
自分たちの技術が宇宙で使われる。その経験は、直接開発に携わったエンジニアだけでなく、会社全体にとっても大きな意味を持つ。宇宙という厳しい条件に置かれることで、自社の技術がどこまで通用するのか、どのように応用できるのかが見えてくる。
「宇宙にチャレンジして成功すると、技術的なブレークスルーだけでなく、マインドセットの部分でもブレークスルーがあります。新しいことにチャレンジすることには価値がある。チャレンジしていいんだ、という感覚が生まれるんです」(南村さん)
宇宙ビジネスというと、特殊な技術や長い開発期間、事業化までの時間軸が語られることも多い。もちろん、宇宙に関わるには高い基準や厳しい条件がある。一定の準備と覚悟が求められる分野である。
それでも、宇宙に挑むことで、自社の技術を別の角度から見つめ直すことができる。社内では当たり前になっている技術が、別の用途では大きな価値を持つことがある。タイガー魔法瓶の取り組みは、自社技術を見つめ直すことが、新たな事業の入口になり得ることを示している。
南村さんには、タイガー魔法瓶の認知を変えていきたいという思いもある。炊飯器や魔法瓶の会社として知られる同社が、将来的には産業機器やBtoB領域でも存在感を持つ会社として認識される。そうした世界をつくりたいという。
「タイガー魔法瓶といえば炊飯器、魔法瓶という認知が強いと思います。将来的には、産業機器やBtoBの会社としても見られるようにしたい。次の100年に向けて、新たな事業の柱を生み出していかなければなりません」(南村さん)
宇宙への挑戦は、その新しい柱をつくるための一つのきっかけでもある。
非宇宙産業から宇宙に挑む企業として、他業種の企業に伝えたいことは何か。
南村さんは、宇宙を遠い世界だと思い込みすぎないことが大切だと話す。近年は、JAXAをはじめ宇宙側からも情報発信や支援の仕組みが増えている。宇宙産業の側にも、非宇宙産業との接点を広げようとする動きがある。
重要なのは、最初から答えを出そうとしすぎないことだ。まず情報に触れ、関心を持ち、自社の技術がどこかで接続する余地を探ってみることが大切になる。
「宇宙だから遠い世界だと思わず、まず興味を持って見てみることが大事だと思います。自分たちの技術が少しでも届くところがあるかもしれません」(南村さん)
もう一つ、南村さんが強調するのが協業の重要性である。
宇宙に関わる開発では、自社だけですべてを解決することは難しい。タイガー魔法瓶の宇宙への挑戦も、JAXAの知見や外部パートナーのシミュレーション技術との連携があって実現したものだ。
「自社だけで全部解決しなければならないわけではありません。日本には優れた技術を持つ企業がたくさんあります。そうした方々の技術も使わせていただきながら、共創協業の中で考えていくことが大事だと思います」(南村さん)
宇宙ビジネスは、宇宙企業だけのものではない。自社の技術を見つめ直し、外の世界に目を向け、必要なパートナーとつながることができれば、非宇宙産業にも入り口はある。
その入り口は、案外、私たちの暮らしのすぐそばにある技術から開かれるのかもしれない。
タイガー魔法瓶は、私たちの日常生活に馴染みの深い企業です。真空断熱ボトルをはじめ、暮らしの中で愛用している製品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。その身近な企業が、宇宙実験サンプル輸送という領域に挑んでいる。そのストーリーには、素直に胸が躍りました。
一方で、お話を伺うほどに感じたのは、宇宙への挑戦が決して突飛なものではなかったということです。真空断熱技術を日用品だけに閉じ込めず、社会のさまざまな場面に生かそうとする姿勢が、タイガー魔法瓶にはありました。難しい条件に向き合い、未知の領域へ踏み出した姿勢に、ものづくり企業としての強さを感じます。
さらに印象的だったのは、宇宙への挑戦を通じて、自社技術への見方が変わり、事業そのものが進化するきっかけになっていたことです。飲み物の温度を保つ技術が、宇宙実験サンプルや医療検体を「温度ごと守って運ぶ」技術となり、新たな事業の土台になっていく。その歩みは、これから宇宙に挑もうとする非宇宙産業の企業にとっても、大きな励みになるのではないでしょうか。(文=JMPプロデューサー 長谷川浩和)