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2026.07.29

アクセルスペース中村友哉社長に聞く、小型衛星ビジネスの現在地【連載】宇宙ビジョンクリエイター 五嶋 耀祥(ひな)の『宇宙人』と話そう

皆さん、こんにちは。宇宙ビジョンクリエイターの五嶋 耀祥(ひな)です。いつも本連載をお読みいただき、ありがとうございます。本連載では、宇宙ビジネスに挑む多彩なゲスト=「宇宙人」をお招きし、対話を通じて宇宙の楽しさと可能性を一緒に探っています。

今回のゲストは、株式会社アクセルスペースホールディングス 代表取締役/株式会社アクセルスペース 代表取締役の中村友哉さんです。東京大学在学中に超小型衛星「CubeSat(キューブサット)」の開発に携わり、2008年にアクセルスペースを創業。以来、小型衛星の開発・運用、衛星データの活用を通じて、宇宙を社会やビジネスの現場に近づける取り組みを続けてきました。

原点にあったのは、宇宙ではなく化学でした。大学で小型衛星と出会い、やりたいことを追い続けた先に、アクセルスペースの創業へとたどり着きます。中村さんの歩みから、小型衛星ビジネスの現在地を見つめます。(ナビゲーター=五嶋 耀祥/文=JMPプロデューサー 長谷川浩和)

併せて読みたい:まずは絵本でもいい。仕組みを理解しよう~【連載】あの人にAIについて聞いてみた

今回のゲスト

株式会社アクセルスペースホールディングス 代表取締役CEO
株式会社アクセルスペース 代表取締役
中村 友哉さん

三重県出身。東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻博士課程修了。在学中に超小型衛星「CubeSat(キューブサット)」の開発に携わり、2003年、東京大学の超小型衛星「XI-IV」の打ち上げ・軌道上運用成功に貢献。その後も複数の超小型衛星プロジェクトに関わり、2008年にアクセルスペースを創業。小型衛星の開発・運用、衛星データの活用を通じて、宇宙を社会やビジネスの現場へ広げる取り組みを進めている。

聞き手

ハッピー・ファム合同会社 代表/社会起業家・ITコンサルタント
五嶋 耀祥(ひな)さん

北海道苫小牧市出身。苫小牧工業高等専門学校で情報工学と電子生産システム工学を学び、卒業後はシステムエンジニアとしてビッグデータ解析や業務システムの構築に従事。その後、大学事務職や子育てを経て、2015年にNPO北海道ネウボラを設立し地域支援を開始。2019年にハッピー・ファム合同会社を設立し、DX推進・IT教育・宇宙産業支援・女性や親子支援など多分野で活動。2021年には一般社団法人ファミリー支援INV協会を創設し代表理事を務める。ITと福祉、教育を横断するソーシャルビジネスの担い手として注目される。

化学から宇宙へ。学生がつくる人工衛星との出会い

五嶋 中村さん、本日はよろしくお願いいたします。中村さんに初めてご挨拶したのは、2023年のSPACETIDEでした。当時の私は、衛星データをもっと多くの人が使えるようにしたいと考えており、アクセルスペースの取り組みに強い関心を抱いていました。


SPACETIDE開催時に記念で撮影した際の1枚

中村 ありがとうございます。そう言っていただけるのは光栄です。

五嶋 その頃は、衛星データに誰もが触れられるようになれば、現場から新しい使い方が生まれていくのではないかと考えていました。今回、改めてお話を伺えることを楽しみにしていました。今日は、中村さんの原点から、アクセルスペース創業の背景、小型衛星や衛星データのこれからまで伺えればと思います。

中村 よろしくお願いします。

五嶋 まず伺いたいのですが、中村さんは子どもの頃から宇宙が好きだったのでしょうか。

中村 いえ、子どもの頃からずっと宇宙が好きだったというわけではありません。幼少期は自然の多い環境で育ち、放課後には近くの川へ遊びに行くような子ども時代を過ごしていました。宇宙に本格的に関わり、面白いと思ったのは、大学に入ってからです。

五嶋 それは意外です。もともとは、どのような分野に関心があったのですか。

中村 高校時代は、化学の授業がとても好きでした。特に有機化学が出てきたときに、パズルのようで面白いなと思ったんです。得意科目の一つでもありましたし、自分は将来、化学の研究をしていくのだろうと思いながら、東京大学理科一類に進学しました。

五嶋 そこから宇宙へ進まれることになるわけですね。

中村 はい。大学で化学を学ぶうちに、高校時代に感じていた面白さとは少し違う部分も見えてきました。物理化学などに触れる中で、自分が想像していたものとは違うなと感じるようになったんです。そこで進学振り分けのタイミングで、せっかく選べるチャンスなのだから、ゼロベースで考えてみようと思いました。

五嶋 そのときに、人工衛星との出会いがあったのですね。

中村 そうです。学科のオリエンテーションで、いろいろな先生の話を聞く機会がありました。その中で強く印象に残ったのが、工学部航空宇宙工学科の中須賀真一先生(現・立命館大学総合科学技術研究機構 教授/立命館大学学長特別補佐)の話でした。「今、研究室で人工衛星を作っている」とおっしゃったんです。

五嶋 学生が人工衛星を作っている、と。

中村 当時の私は、人工衛星について何もわかっていませんでした。人工衛星というのは、国が大きな予算を投じ、選び抜かれた技術者や科学者が集まって作るものだと思っていました。ですから、大学生が作っているということ自体が信じられませんでした。研究室を見学させてもらうと、衛星開発に取り組む先輩方が、本当に楽しそうに開発に向き合っていた。その姿を見て、自分もこのメンバーになりたいと思ったのが、最初のきっかけです。

五嶋 宇宙への憧れというより、「自分たちの手で宇宙に飛ぶものを作れる」ということへの驚きと興味だったのですね。

中村 まさにそうです。宇宙好きというより、エンジニアの卵として、人工衛星を自分たちで作れることに強く惹かれました。他の学科よりも強く惹かれるものがあったので、航空宇宙工学科に進み、中須賀先生の研究室に配属されて、衛星開発を始めました。

教科書のない衛星づくり。秋葉原の部品で挑んだ宇宙

五嶋 研究室に入って、実際に衛星開発に携わるようになってからは、どのような日々だったのでしょうか。

中村 最初の数カ月は、正直、ほとんど何もわかりませんでした。先輩方は多くのことをわかっていて、開発もすでに進んでいる。アルファベット3文字の専門用語が飛び交っていて、会話についていくのも大変でした。

五嶋 外から見ると楽しそうでも、中に入るとまったく違う世界だったのですね。

中村 はい。研究室に入るのと同時に衛星プロジェクトのメンバーにもなるわけですが、「君は何がしたいんだ」と言われても、そもそも何ができるのかもわからない。やがて衛星の環境試験を担当するチームに入り、宇宙科学研究所、いわゆる宇宙研で、昼夜を問わず試験に向き合う日々が始まりました。最初は、これは自分がやりたかったことなのだろうかと思うこともありました。

五嶋 それでも、続けていくうちに面白さが見えてきたのでしょうか。

中村 だいたい3カ月くらい経つと、先輩方が何を言っているのかがわかってくるんです。パズルがはまるように、いろいろなことがつながってくる。そうすると、だんだん楽しくなっていきました。環境試験だけでなく、カメラを開発するチームにも入れてもらい、電子工作も始めました。秋葉原が近かったので、毎日のように部品を買いに行って、店員さんにいろいろ教えてもらいながら、LEDが光るだけでも、ものが動く面白さを実感していました。

五嶋 ものづくりの原点のようなお話ですね。

中村 そうですね。高校まで、はんだごてを握ってものづくりをしてきたわけではありませんでした。大学に入って初めてそうした経験をして、衛星開発に深く引き込まれていきました。当時は、大学での研究テーマと、衛星開発の役割が別にあり、その両方に向き合う必要がありました。それでも、衛星を作ること自体がとても楽しかったんです。

五嶋 当時の日本の宇宙産業は、どのような状況だったのでしょうか。

中村 当時の宇宙開発は、まだ国のプロジェクトが中心の時代でした。大学で人工衛星を作る前例もほとんどない。教科書もありません。わからないことがたくさんあるので、当時の宇宙開発機関や宇宙業界で働く方々に助けを求める場面も多くありました。

五嶋 周囲の反応はいかがでしたか。

中村 親身に教えてくださる方もいましたが、一方で「大学生が衛星を作れるわけがない」と言われることもありました。「秋葉原で買った部品を宇宙に打ち上げるなんて」と厳しい言葉をいただいたこともあります。今思えば、それも宇宙開発に真剣に向き合ってきた方々だからこその言葉だったのだと思います。それでも、私たちは自分たちの手で作ってみたかった。お金も時間も限られる中で、民生部品を使って、どこまで宇宙で動くものを作れるのかに挑んでいました。

五嶋 前例の少ない領域を、自分たちで切り拓いていく経験だったのですね。

中村 衛星づくりは、一つのプロジェクトです。しかし、当時はプロジェクトマネジメントを体系立てて学ぶ機会が十分にあったわけではありません。流体力学や構造力学、姿勢制御は学んでも、人工衛星の作り方そのものを教わるわけではない。紙の上で設計することと、実際にものを作ることの違いを、現場で学んでいきました。

一枚の地球の写真が、ものづくりを社会へつないだ

五嶋 中村さんにとって、衛星開発の中で特に大きな転機になった出来事はありますか。

中村 修士2年のときに、最初の衛星を打ち上げました。その衛星にはカメラを載せることになったのですが、この経験がアクセルスペースにもつながっています。

五嶋 カメラの搭載が、創業にも関わっているのですね。

中村 当時のプロジェクトマネージャーは、後に「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャーを務める津田雄一さんでした。ミッションは最終的に「宇宙空間で1週間生きる衛星を作る」ことに絞られましたが、その中でも津田さんは「カメラだけは載せたい」と強く主張していました。私もカメラ担当の一員だったので、なんとしても載せなければと思い、開発に取り組みました。

五嶋 当時のカメラは、今ほど簡単なものではなかったですよね。

中村 そうですね。まだ携帯電話にカメラが付き始めた頃で、市販のカメラモジュールをインターネットで購入し、衛星に搭載しました。これも宇宙関係者から厳しい指摘を受けましたが、振動試験や環境試験、放射線試験を通して、最終的には搭載することにしました。結果的に、非常にきれいな地球の写真が撮れたんです。

五嶋 その写真を、中村さんは外部に配信されたのですよね。

中村 はい。打ち上げる前から、もし画像が撮れたら、自分たちだけで楽しむのはもったいないと思っていました。そこで津田さんに「画像を配信するサービスを作りたいです」と掛け合ったところ、「全部一人でやるならいいよ」と言われました。登録者に画像を送る仕組みを、自分で作ることになりました。サーバーの設定からソフトウェアも自作し、サイトを開設して配信システムを整えました。

五嶋 実際に配信してみて、どのような反応がありましたか。

中村 2003年に打ち上げて、メッセージとともに画像を送りました。実は、返信はまったく期待していませんでした。むしろ厳しい反応が来たら嫌だなと思って、「返信しないでください」と注意書きを入れていたくらいです。それでも、返信してくださる方がたくさんいました。

五嶋 どのようなメッセージが届いたのでしょうか。

中村 「本当に感動しました」「頑張ってください」「画像がすごくきれいです」といった応援のメッセージが多かったんです。そのとき、はっとさせられました。純粋な技術的興味から取り組んでいた衛星開発が、外部の人に評価される。自分たちの取り組みは、世の中にとってどんな意味を持つのだろう。そう考え始めるきっかけになりました。

五嶋 ものづくりの楽しさが、社会的な意義へと変わっていった瞬間だったのですね。宇宙に限らず、新しい領域に挑む人たちにも通じる、大切な示唆があると感じます。

中村 最初は興味を持つことが大事だと思います。自分がそれを面白いと思わなければ、続かないからです。その次に大事なのは、仲間内だけで楽しむものから、他の人にとって意味のあるものへと広げられるかどうかです。その視点を持てるかどうかが、最終的には事業につながっていくのだと思います。

「ないなら作る」。起業は目的ではなく、手段だった

五嶋 その後、2008年にアクセルスペースを創業されます。最初から起業を考えていたのでしょうか。

中村 いえ、まったく考えていませんでした。最初のキューブサットをやった後は、後輩たちが衛星をメインで作るようになっていきました。画像配信の仕組みを作ったことでソフトウェアにも関心が広がり、地上局の運用ソフトや自動化ソフト、研究室のメールサーバーなど、必要だと思うものは自分で作るようになっていました。

五嶋 衛星そのものだけでなく、周辺の仕組みも作っていたのですね。

中村 そうですね。衛星も世代を重ねるにつれて、できることが広がり、性能も向上していきました。博士課程を修了する頃には、小型衛星は世の中に役立つ新しいツールになるのではないかと考えるようになっていました。

五嶋 そこから起業につながったのですね。

中村 ただ、その時点でも、自分が起業するという発想はありませんでした。卒業が近づいて、どこの企業に入れば小型衛星の仕事ができるのかを調べたときに、当時の日本には、小型衛星の開発を続けられる会社がほとんどないことに気づいたんです。そこで中須賀先生に、「卒業後、就職できる会社がありません」と相談しました。

五嶋 先生は何とおっしゃったのですか。

中村 「今ちょうど大学発ベンチャーを作るための支援があるから、これでやればいいじゃない」と背中を押していただきました。そのとき初めて、ベンチャーという選択肢を現実のものとして意識しました。ないなら作るという手があるのか、と。深く考えるより先に、「では、それをやります」と答えていました。それが、起業の道に進んだきっかけです。

五嶋 起業家になりたかったというより、小型衛星を続けるための手段が起業だったのですね。

中村 そうです。起業には、起業そのものを目指してテーマを探す場合もあれば、実現したいテーマが先にあって、その手段として起業にたどり着く場合もあると思います。私の場合は、明らかに後者でした。

五嶋 実際に起業準備を始めてからは、どのような苦労がありましたか。

中村 博士課程を修了した後、大学の研究員という立場を得て、起業準備を始めました。とはいえ、会社経営について体系的に学んできたわけではありません。営業をどうすればいいのかもわからない。今振り返ると、技術起点の提案に偏っていたのだと思います。

五嶋 「こんな技術があります」と説明しても、相手は使い方がわからないという状況でしょうか。

中村 まさにそうです。「衛星を使いませんか」「衛星を持ちませんか」と話すと、珍しさもあり、話を聞いていただく機会はありました。「面白そうですね。どんなことができるんですか」と聞かれるので、「写真が撮れたり、通信ができたりします」と答える。すると「それをどう使ったらいいんですかね」という話になり、なかなか前に進まない。そうした反応が何度も続きました。

五嶋 技術があるだけでは、事業にはならないということですね。

中村 そうです。当時は、ベンチャーキャピタルが宇宙ベンチャーに投資するような環境も、まだ十分には整っていませんでした。資金調達は難しい。けれど、お客様を見つけなければ、事業として立ち上げることはできない。そんな中で、ギリギリのタイミングでウェザーニューズ社とのご縁が生まれました。

五嶋 そこが創業の大きな転機になったのですね。

中村 はい。衛星を持つことを考えているという話を伺い、これが創業に向けた大きな機会になると感じました。半年ほど検討を重ね、最終的に「やろう」と決めていただいた。それが2008年7月頃です。その契約締結をもって、2008年8月にアクセルスペースを創業しました。

衛星を持つ時代から、データを使う時代へ

五嶋 アクセルスペースは、創業以来、宇宙をより多くの企業や社会の現場に近づけようとしてきた印象があります。事業モデルは、どのように変化してきたのでしょうか。

中村 創業以来、事業モデルは何度か変えてきました。最初は、従来の大型衛星よりも低コストで短期間に開発できれば、民間利用も広がるのではないかという発想でした。

五嶋 実際には、すぐに広がったわけではなかったのですね。

中村 ウェザーニューズ社は最初のお客様になりましたが、それに続く企業がなかなか出てきませんでした。大きな理由は、宇宙業界の物差しでは大幅に低コストでも、一般企業にとってはなお高く、失敗のリスクも大きいからです。

五嶋 宇宙業界の中での安さと、一般企業にとっての導入しやすさには、大きな差があるということですね。

中村 そうです。そこで、どうすればもっとリスクを下げられるのかを考えました。お客様が本当に欲しいのは、衛星というハードウェアではなく、衛星から得られるデータです。それなら、私たち自身が衛星を持ち、リスクを引き受け、お客様にはデータを提供する形にすべきではないかと考えました。それが2014年頃です。

五嶋 衛星を売るのではなく、データを提供するモデルへ移っていったのですね。

中村 はい。2015年にはシリーズAで19億円を調達しました。当時の日本では、ハードウェアスタートアップがシリーズAで二桁億円を調達すること自体が珍しい時代でした。そこから、自社で衛星コンステレーションを構築し、データを提供する事業へと進んでいきました。

五嶋 現在は、さらに次の段階に入っているのでしょうか。

中村 現在は、衛星利用の広がりに伴い、より多くの衛星を効率よく作ることが求められています。フルカスタムの開発だけではなく、量産できる衛星をベースに、AIやデジタル技術も活用しながら、少量多品種の衛星製造に対応していく。そうした考え方のもと、小型衛星のワンストップサービス「AxelLiner」などを展開しています。

五嶋 宇宙そのものが、特別なものから社会インフラへと近づいているのですね。

中村 創業間もない頃から「Space within Your Reach~宇宙を普通の場所に~」というビジョンを掲げていますが、その意味合いも時代とともに変わってきました。最初は、宇宙を使いたいお客様が当たり前に使えるように、という意味合いでした。今は宇宙を意識していない産業や事業者のサービスの中に、宇宙由来の機能やデータが自然に組み込まれていく段階に近づいていると感じています。利用者が宇宙を意識しなくても、サービスの裏側でその力が生きている。そういう社会インフラとしての位置づけが出てきていると思います。

宇宙を主語にしない。社会実装に必要な視点

五嶋 私は以前、衛星データに誰もが触れられる環境があれば、そこから新しいビジネスが生まれていくのではないかと考えていました。実際に札幌で市やIT企業と取り組む中で、データを開くだけでは、現場から自然にアイデアが生まれるわけではないのだと感じるようになりました。

中村 まさにそこが大事なポイントだと思います。衛星データを解析できるようにすれば利用が広がる、というわけではありません。なぜなら、衛星データを使いたい人は、衛星データを解析したい人ではないからです。さらに、衛星データのソリューションが役に立つ現場の人たちは、衛星データを使えること自体を知らないことも多い。

五嶋 技術やデータと、現場のニーズの間に橋を架ける必要があるのですね。

中村 そうです。技術もデータもある。では、それを現場のニーズとどう結びつけるのか。そこが業界全体の大きな課題だと思っています。現在は安全保障分野を中心に、宇宙産業への関心が高まっていますが、その先に、一般の生活者まで届くような宇宙利用を描くのであれば、その接続部分が非常に重要になります。

五嶋 技術やデータを持っている側は、どうしても「宇宙をどう使うか」から考えがちです。一方で、事業化を考えるうえでは、どこから発想すべきなのでしょうか。

中村 大事なのは、宇宙を主語にしすぎないことだと思います。宇宙をやりたい人は、どうしても宇宙をメインディッシュに持ってきてしまう。けれど、本来の主役はお客様の課題です。宇宙は、メインディッシュではなく、ふりかけのような存在でいい。お客様の事業や地域の課題に、宇宙が少し効いている。そのくらいの位置づけが大切なのだと思います。

知識が増えるだけでは、具体的な活用には進みません。だから私は、「宇宙のことを教えてください」と言われたら、むしろ「あなたのことを教えてください」と返すようにしています。お客様のニーズを解く手段として宇宙が使えるなら使えばいい。その順番でなければ、事業化は難しいと思います。

五嶋 宇宙を意識しないところで価値が出ている状態が、一つの理想なのですね。

中村 はい。インフラとは、本来そういうものだと思います。毎日道路を通っていても、その存在を強く意識することはありません。しかし、その裏側には多くの人の技術や努力がある。宇宙も、そういう道路のような存在を目指すことが大事だと思います。

五嶋 「宇宙×何か」ではなく、「何か×宇宙」という順番が大事なのですね。

中村 そうです。最近は「宇宙×〇〇」という言葉もよく聞きますが、順番は逆だと思っています。たとえば金融や環境にも可能性はあります。ただ、その業界の課題を一番よく知っているのは、その業界にいる人たちです。だからこそ、宇宙側だけで考えるのではなく、活用できる現場を知る人たちと組むことが重要です。

五嶋 宇宙が特別なものとして前面に出るのではなく、社会の裏側で自然に機能している状態が大切なのですね。

中村 そう思います。宇宙がいつまでも「夢があって素晴らしいもの」として特別扱いされるだけでは、ビジネスとしてスケールするには限界があります。宇宙を、そうした形で社会に根づかせていくことが大事なのだと思います。

札幌の除雪課題に、宇宙はどう関われるのか

五嶋 私自身、札幌市の除雪課題に関わる中で、宇宙技術やデータ活用の可能性を探っています。除雪は市民生活に直結する地域課題です。だからこそ、単に技術を入れるのではなく、現場の声や市民の実感とつなげながら考えたいと思っています。

中村 札幌市の取り組みは、とても面白いと思います。もちろん、衛星だけで課題が解けるかどうかはわかりません。ただ、役に立つ部分はあるのではないでしょうか。宇宙の人だけで考えるのではなく、現場でニーズを感じている人、除雪技術を知る人、行政や地域の事情を知る人がチームを組むことが大事だと思います。そこから、市民生活に届く具体的なサービスが生まれる可能性もあると思います。

五嶋 宇宙を主役にするのではなく、地域課題を解くために生かすということですね。

中村 そうですね。宇宙から考えるのではなく、まず現場の課題から考える。その上で、宇宙が使えるなら使う。その順番が大切だと思います。

五嶋 今回のお話を伺って、私自身が札幌で取り組んでいることにも、いくつものヒントをいただきました。衛星データを開くだけでなく、現場の人たちが使える形に翻訳していくこと。その重要性が、より具体的に見えてきました。自分の中でまだ言語化しきれていなかった課題が、かなり具体化されたように感じます。

小型衛星ビジネスの余白は、まだ大きい

五嶋 最後に、中村さんにとって、宇宙ビジネスの面白さとは何でしょうか。また、まだ宇宙を自分ごとにできていない読者に向けて、メッセージをいただけますか。

中村 宇宙ビジネスは、まだ開拓の余地が大きい領域だと思っています。技術はあるけれど、それを世の中に役立つ形で届ける余地がまだ大きい。外から見ると、宇宙はすでに大きなビジネスになっているように見えるかもしれません。ただ、その多くは政府予算や安全保障領域に支えられている面が大きい。宇宙をどう社会の中で使える形にしていくのか。そこに、面白さがあると思っています。

五嶋 だからこそ、今取り組む面白さがあるのですね。

中村 はい。5年、10年経てば、誰かがやっているかもしれない。でも、今なら自分ができるかもしれない。その感覚があります。あらゆる業界に、宇宙が少し効く領域があると思っています。自分たちの事業を進化させる観点で、「宇宙をうまく使えないだろうか」と考えてみることが大事です。

五嶋 宇宙に詳しい人だけでなく、さまざまな業界の人が考えることで、用途が広がっていくのですね。

中村 そうです。業界ごとの課題を知る人たちが加われば、宇宙の使い道はもっと広がっていくはずです。「自分たちの事業に、宇宙を少し取り入れたら何が変わるのだろうか」。そう考えてもらうことが、宇宙利用ビジネスを大きく変えていくきっかけになると思います。

五嶋 本日のお話を伺って、中村さんは、前例の少ない時代に小型衛星の可能性を切り拓いてきた方なのだと感じました。学生の手で衛星を作ることが当たり前ではなかった時代に挑み、社会的意義を見いだし、事業として形にしてきた。その歩みは、宇宙に限らず、新しいことを始めようとする人にとっても、大きなヒントになると思います。

中村 ありがとうございます。宇宙は特別な場所でありながら、これからはもっと身近なインフラにもなっていくと思います。さまざまな業界の方々と一緒に、宇宙の新しい使い道を形にしていけたらと思っています。

五嶋 本日は貴重なお話をありがとうございました。

取材を終えて

今回の取材で印象に残ったのは、中村さんの歩みが、決して「宇宙起業家」への一直線の道ではなかったことです。化学への関心から始まり、大学で小型衛星と出会い、やりたいことを追い続けた先に、アクセルスペースの創業へとたどり着きました。その自然な流れに、中村さんらしさが表れているように感じました。

研究室で衛星開発に向き合い、時には秋葉原へ部品を買いに行き、宇宙業界の先輩方から厳しい言葉を受けながら、それでも自分たちの手で宇宙に飛ぶものを作ろうと走り続けてきた中村さん。その言葉と行動力に、取材をしている私自身も何度も刺激を受けました。

アクセルスペースの創業以降、日本の宇宙ビジネスを取り巻く環境は大きく変わりました。その変化の中で事業を進化させてきた中村さんが語った「宇宙を主語にしすぎない」という考え方は、深く納得できるものでした。大切なのは、宇宙から発想するのではなく、地上の産業や地域、暮らしの課題から考えること。その先にこそ、これからの宇宙ビジネスが広がっていく余地があるのだと感じます。

宇宙は遠い世界の話であると同時に、私たちの仕事や地域の課題にもつながり得るものです。今回の対談が、SpaceStep読者の皆さんにとって、その接点に目を向けるきっかけになれば嬉しく思います。(文=JMPプロデューサー 長谷川浩和)