人類未踏の地であった月の南極域。ここが今、人類の新たな経済活動の舞台になろうとしている。月面にローバーを走らせ、拠点を築く。だが、宇宙空間には地図がない。地球上で私たちが当たり前に享受している「自らの位置を知る」インフラの不在。これを乗り越える必要がある。
見えない座標軸を、いかに月面へと持ち込むか。2026年3月16日、株式会社アークエッジ・スペースは国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)より受託していた月測位システム(LNSS)の定常的運用に向け、フィージビリティ・スタディ※の検討を完了した。2030年代前半の運用開始を見据え、月面において10メートルという高精度な測位が、超小型衛星によって実現可能と見なしうることを示したのだ。日本が主導する「月のGPS」。国際的な月探査のルールメイキングにおける中核を担う存在として、その輪郭を現し始めている。(文=SpaceStep編集部)
※フィージビリティ・スタディ=実行可能性調査。プロジェクトの実現可能性を技術面、財務面、市場面、運用面、これら 4 つの側面から体系的に評価する調査手法。
「月測位システム(LNSS)のFOCに向けたフィージビリティ・スタディ(その2)」において、アークエッジ・スペースは月面において10メートル(2σ)程度の単独測位※精度(水平)を達成可能なアーキテクチャが成立し得ることを明らかにした。月面の南極域における広域かつ高精度な測位サービスの実現に向けて、小さくない前進となった。
※4機以上の月測位システム(LNSS)衛星から受信される疑似距離観測量をエポックごとに処理し、測位解を算出する最も基本的かつ簡単な測位手法
その技術的な独創性は、地球周回軌道にある既存の測位衛星(GPSなど)から漏れ出た信号を活用する点にある。これに月面南極域へ設置するビーコンを組み合わせることで、高精度な軌道時刻決定を実現した。本手法は、欧州などで検討されている地球からの大型アンテナによる測距方式と比較して、地上局への依存度を大幅に減らすことができる。構築・運用コストの削減へとつながるものだ。
また今回は、複数の軌道パターンや衛星配置を比較検討。月面における安定的なサービス提供に向けたコンステレーションの設計指針も更新した。巨大な政府プロジェクトとしての宇宙開発から、機動的なスタートアップが主導する「身軽なインフラ構築」への転換が、月面においても現実味を帯びてきたといえるだろう。
アークエッジ・スペースの発表は、月面における測位インフラの確立によって、月面ビジネスの現在地が「探査」から「産業」へと移行する時が近づきつつあることを示唆している。
10メートル精度の測位サービスが定着すれば、無人ローバーによる自律的な資材搬送や複雑な月面基地の建設、さらには物流網の構築を支えるための「座標のインフラ」が整うことになる。このようなインフラが整備されることで、月面は科学的な観測対象としてのフェーズを終え、具体的な事業が展開される場へと再定義されることになるだろう。
またNASAやJAXA 、ESA(欧州宇宙機関)が推進する国際的な月通信・測位フレームワーク「LunaNet」との整合性が確認されたことも意義深い。日本の技術が測位サービスの国際標準(LANS)の一部として機能することで、日本の宇宙産業がグローバルな月面サプライチェーンにおいて中核的な役割を担う可能性があるからだ。
日本の月面開発は、月への「到達」を目指すフェーズから、定常的な経済活動を支える「インフラの定着」を目指すフェーズへと移行しつつある。アークエッジ・スペースが進めるこのロードマップは、宇宙戦略基金による最大50億円の支援枠という強力な後押しを得て、2028年以降の実証衛星打ち上げへと加速していく見込みだ。
座標軸という無形のインフラを月面へと刻む挑戦。人類が宇宙という新天地で、自律的に活動するための強固な土台となる可能性を提示している。その時、月面から見える景色は一変するはずだ。