高知でスペースポートの実現を目指し、宇宙産業を地域の新たな成長分野へとつなげる――。一般社団法人スペースポート高知が掲げるのは、ロケットの打上げ拠点の整備だけを目的とした構想ではない。企業や人材、投資を呼び込み、建設や物流、観光、教育など、地域の幅広い産業を宇宙ビジネスと結びつけていく構想だ。中心を担うのは、代表理事の古谷文平さんと理事の小松聖児さん。中学時代からの同級生である二人は、卒業後、それぞれ国際ビジネスと宇宙開発の道へ進んだ。その経験を通じて、古谷さんは高知の地域経済、小松さんは日本の宇宙輸送が抱える課題を意識するようになった。二人はなぜ、故郷・高知でスペースポートに挑むことになったのか。全5回でその現在地を追う。(聞き手・文=JMP総合プロデューサー長谷川浩和)
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宇宙ビジネスを身近にする『SpaceStep』
お話を伺ったのは

一般社団法人スペースポート高知 代表理事
古谷 文平さん(写真左)
高知県出身。大学・大学院でアフリカの政治経済を学び、卒業後は豊田通商に入社。約10年間、アフリカ関連の事業に携わる。2019年に高知へ戻り、家業のホテル経営に参画。人口減少や若者の県外流出など、高知の将来を考える中でスペースポート構想を提唱。2025年2月に一般社団法人スペースポート高知を設立し、代表理事に就任した。
一般社団法人スペースポート高知 理事
小松 聖児さん(写真右)
高知県出身。幼少期から宇宙に関心を持ち、米国ユタ大学、大阪大学大学院を経て三菱電機に入社。人工衛星の通信システム開発に携わった後、宇宙スタートアップのispace、ニュージーランドのRocket Labへと移り、人工衛星の通信システム開発を中心に、宇宙開発の実務経験を重ねる。海外の打上げ現場で得た知見を生かし、古谷さんとともにスペースポート高知の構想を推進している。
一般社団法人スペースポート高知は2025年2月、スペースポートを核とした宇宙産業の集積と、地域産業との連携を掲げて設立された。目指しているのは、高知にロケットの打上げ拠点を整備することだけではない。
活動は、射場の候補地や必要な設備の検討にとどまらない。宇宙ビジネスに関する勉強会や調査研究、県への政策提言、企業・教育機関・自治体を交えたネットワーキングなどを重ねながら、地域企業が宇宙産業と接点を持つ機会を広げている。
実際、参画企業の業種は幅広く、建設、金融、物流、観光、IT、エネルギーなど、宇宙を専業としない企業も多い。高知大学、高知工科大学、高知工業高等専門学校(高知高専)といった教育・研究機関も活動に関わっている。古谷さんが強調するのは、「スペースポートをつくることがゴールではない」という点だ。

スペースポート高知が掲げるコンセプト(スペースポート高知資料より引用)
「最初から、ロケットの打上げ場をつくることが目的ではないとお伝えしています。スペースポートを一つの呼び水にして、関連する投資を呼び込みたい。それによって高知が変わり、地域が持続していける未来につなげたいと思っています」(古谷さん)
小松さんも、スペースポートを宇宙関連企業だけで成立するものとは見ていない。
「スペースポートを実際につくるとなれば、建設分野の企業との連携は欠かせません。さらに、液体燃料を扱うガス関連企業など、宇宙輸送特有の領域でも連携が必要になります」(小松さん)
スペースポートを起点に、これまで宇宙と接点のなかった地域企業にも、新たな事業機会が生まれる環境をつくる。射場の整備と地域産業の振興を別々に考えず、スペースポートを新たな企業活動や投資を呼び込む基盤として位置づけている。
2026年4月には、高知県がスペースポートの実現可能性を検討する研究会を設置した。適地、ロケット事業者の需要、事業スキーム、経済波及効果などについて調査が進められている。現在は県も実現可能性の検証を進めているが、構想の出発点は民間にある。その中心にいる古谷さんと小松さんは、中学時代からの同級生だ。
取材当日の2026年9月15日には、「第2回高知県におけるスペースポート実現可能性研究会」が開催された
古谷さんと小松さんは、中学1年生からの同級生である。中学、高校では同じサッカー部で過ごした。卒業後、古谷さんは海外ビジネスの世界へ、小松さんは一貫して宇宙開発の道へ進み、それぞれの分野でキャリアを積んでいった。
「当時の僕は宇宙開発への強い関心があったわけではなく、むしろ国際的な仕事をしたいと考えていました。大学、大学院ではアフリカの政治経済を学びました」(古谷さん)
卒業後は豊田通商に入社し、約10年間、アフリカ関連のビジネスに携わった。海外で事業経験を重ねる一方、古谷さんの中には、故郷・高知への問題意識も残り続けていた。
小松さんは、幼い頃から宇宙に強い関心を持っていた。毛利衛さんの活躍に刺激を受け、宇宙飛行士を志したという。
「大学進学を考える頃には、将来は宇宙開発に関わりたいという思いがありました。そのためには英語力も必要だと考え、米国の大学への進学を選びました」(小松さん)
米国ユタ大学から大阪大学大学院へ進学し、三菱電機で人工衛星の通信システム開発に携わった。その後は宇宙スタートアップのispaceへ移り、さらにニュージーランドのRocket Labへ。大企業、スタートアップ、海外のロケット企業という異なる環境で、宇宙産業の実務を経験してきた。
大学進学後、二人が頻繁に顔を合わせていたわけではない。それでも節目には互いの近況を知り、古谷さんは、小松さんが三菱電機で人工衛星に携わっていることや、ispaceへ転職したことも知っていた。
古谷さんにとって、若い世代が高知を離れ、なかなか戻ってこないことは、帰郷後に初めて気づいた課題ではなかった。父方、母方ともに商売を営む家系に育ち、人が地域から離れていく現実を以前から身近に感じていた。
「どうすれば高知に人が戻ってくるのかということは、かなり早い時期から考えていました。父方も母方も商売をしていましたから、人が帰ってこないということは身近な問題でした。高知を離れている間も、自分の中ではずっとテーマとして残っていました」(古谷さん)
2019年、古谷さんは高知へ戻り、家業のホテル経営に携わる。ほどなくコロナ禍に入り、宿泊業は大きな影響を受けた。コロナ禍も経験する中で、関心は自社の経営だけでなく、高知の産業や地域経済の将来へと広がっていった。
古谷さんがとりわけ重く受け止めたのが、人口減少だった。
「高知へ戻って人口推計を見たときは、かなり衝撃を受けました。当時の推計では、2050年には県人口が45万人ほどになる。高齢化も進んでいく中で、今ある社会や産業をそのまま維持していくことは難しくなる。高知はこの先、何を産業の軸にしていくのか。それを考えるようになりました」(古谷さん)

人口減少は、住民の数だけの問題ではない。消費市場が縮小し、人材確保が難しくなり、企業の支店や営業所が撤退すれば、地域で選べる仕事も減っていく。進学や就職を機に県外へ出る若い世代に、「高知へ戻って働く」という選択肢をどう増やすか。そのためには、既存産業の維持だけでなく、新たな企業や投資を呼び込めるテーマが必要だと古谷さんは考えた。
人口減少への危機感から、古谷さんは高知に新たな産業を呼び込む方法を考えるようになった。その中で目を向けたのが、太平洋に面する高知の地理だった。
「スペースポートという言葉も、それまで詳しく知っていたわけではありません。高知の可能性をいろいろ調べている中で知って、『これは高知の地理を生かせるのではないか』と思ったんです」(古谷さん)
2024年春には、高知の将来について考えてきた内容を「Spaceport City, Kochi」という言葉にまとめて発信した。そこで描かれていたのは、ロケット発射場の誘致だけではない。古谷さんが描いていたのは、スペースポートを単独の施設ではなく、企業や人材を呼び込み、新たな仕事や交流を生み出す都市の機能として位置づける構想だった。
「すぐに事業として動かすと決めていた段階ではありません。まず、高知の将来について自分が考えていることを外に出してみようと思いました。それを見て連絡をくれたのが小松でした」(古谷さん)

スペースポート構想につながる考えを記した、古谷さんのnote「高知の未来:都市と疎空間で考える」(2024年3月28日投稿)

2024年4月8日には古谷さんがFacebookに自らの思いを投稿。その投稿に小松さんがリアクション。すべてはここから始まった
小松さんが宇宙産業でキャリアを重ねた時期は、業界の構造が大きく変わった時期でもあった。
三菱電機に入社した頃は、宇宙開発は国やJAXAが主導し、大手企業が担う仕事という色合いが強かったという。その後、コンステレーション衛星やスタートアップの台頭によって、宇宙産業の裾野が広がっていったと小松さんは振り返る。
さらにニュージーランドのRocket Labへ移り、高頻度の打上げが行われる宇宙輸送の現場に身を置いた。そこでは、日本で開発された人工衛星も打ち上げられていた。
「日本の人工衛星がニュージーランドから次々と打ち上がっていくのを見て、日本人として『この状況をこのままにしておいていいのか』という思いが強くなりました」(小松さん)
一方で、小松さんが現地であらためて実感したのが、日本の製造業やエンジニアが持つ力だった。
「ニュージーランドの現場を見て、『これが日本でできない理由はない』と感じました。日本には優秀なエンジニアがいて、製造業の技術力も高い。それなのにロケットの打上げ数が少ない。その状況には強い問題意識を持ちました」(小松さん)
Rocket Labでは、ロケットだけでなく、高頻度の打上げを支える地上側の仕組みも目の当たりにした。射場に加え、機体や機材を運ぶ物流、燃料・通信設備、安全管理、航空・海上との調整、地域との関係づくりなど、多くの機能が必要になる。小松さんは、そうした運用が日常的に行われる現場に身を置いてきた。
古谷さんは2023年にも、スペースポート構想につながる考えをSNSで発信していた。小松さんもそれを目にしていたが、その時点では自ら動くまでには至らなかった。
「当時は、まだ自分の中に『できる』という感覚がなかったんです。ニュージーランドへ行ってから、それほど時間も経っていませんでした」(小松さん)
そこからさらに1年、Rocket Labで数多くの打上げを目の当たりにした。2024年春、古谷さんが再び構想を発信したときには、受け止め方が変わっていた。
「現場を経験する中で、『日本でもできる』という感覚が自分の中にできていました。そこに古谷の発信があったので、『今しかない』と思いました」(小松さん)
高知と宇宙の接点は、今回のスペースポート構想が初めてではない。約20年前、高知では「土佐宇宙酒」というプロジェクトが行われた。
2005年、高知県産の清酒酵母を宇宙へ送り、約10日間の宇宙滞在を経た酵母を使った清酒が「土佐宇宙酒」として展開された。高知の酒造業界だけでなく、県の研究機関や大学なども関わった産学官のプロジェクトであり、宇宙という新しいテーマを、高知の酒造産業と結びつけた取り組みだった。
現在のスペースポート構想と直接の継承関係があるわけではないが、約20年前にも、高知では産学官が連携し、宇宙と地域産業を結びつける取り組みが行われていた。
土佐宇宙酒では、宇宙滞在を経た酵母を高知の酒造りに生かした。現在のスペースポート構想とは事業の内容も規模も異なるが、宇宙を地域から遠い存在のままにせず、高知の産業や技術と結びつける発想には共通するものがある。
小松さんから古谷さんへ連絡が入り、二人はオンラインで構想を具体化していった。当時、古谷さんは高知、小松さんはニュージーランドにいた。2024年7月には小松さんが休暇で日本へ戻る予定があり、その機会に高知の企業、経済界、有識者へ構想を説明することにした。その前に、活動の受け皿となる事業会社「株式会社BUNJI GATE」を設立した。
「個人として構想を話すだけでは、本気で取り組む意思はなかなか伝わりません。きちんと法人格を持ち、責任を持って進める姿勢を示したいと考えました」(小松さん)

小松さんは当時、まだRocket Labを離れることも決めていなかった。ニュージーランドから法人やWebサイトの準備を進め、宇宙業界の関係者との接点を広げた。一方、高知では古谷さんが企業や経済界、有識者を訪ね、構想について意見を求めた。
宇宙関係者からは射場に必要な技術的条件を学び、地域の経済界には県内企業が関われる可能性を相談した。行政経験者にも意見を求める中で、県への政策提言という道筋が見えてきた。
「経済界を中心に賛同者を集めて、県に政策提言してみてはどうかと助言をいただきました。そこで、まず地域の中で賛同してくださる方を増やしていこうと考えました」(古谷さん)
2025年2月には一般社団法人スペースポート高知を設立し、企業や大学、経済界との連携を本格化した。この時点で射場の候補地や利用するロケット事業者、事業スキームが決まっていたわけではない。
高知県への政策提言を当面の大きな目標に据え、勉強会やワーキンググループを重ねながら、構想の具体化を進めていった。2025年10月には、高知県へ「スペースポートの開港及び宇宙産業の振興」に関する政策提言を提出した。2026年4月には、高知県がスペースポートの実現可能性を検討する研究会を設置し、適地、ロケット事業者の需要、事業スキーム、経済波及効果などについて調査を進めている。古谷さん、小松さんも委員として議論に加わっている。
古谷さんが発信した構想に小松さんが加わり、いまでは企業や大学、経済界が参加し、高知県も実現条件の検証を進めている。
古谷さんが高知の将来を考える中で示したスペースポート構想に、Rocket Labで打上げの現場を経験してきた小松さんが「今しかない」と反応した。異なる経験を持つ二人が、ここから同じプロジェクトを動かし始めた。
では、なぜ数ある産業の中で宇宙だったのか。スペースポートは、高知の産業や雇用にどのような可能性をもたらすのか。
次回は、人口減少や若者の県外流出、民間投資の現状を踏まえながら、なぜ二人が「宇宙」に可能性を見いだしたのかを掘り下げる。
(第2回に続く)