1. SpaceStep TOP
  2. 宇宙ビジネスを身近にする
  3. 世界で見た「企業が主役」の宇宙。HIREC上森規光社長が語る、日本の強みとこれからの成長条件【連載】宇宙ビジョンクリエイター 五嶋 耀祥(ひな)の『宇宙人』と話そう

2026.09.11

世界で見た「企業が主役」の宇宙。HIREC上森規光社長が語る、日本の強みとこれからの成長条件【連載】宇宙ビジョンクリエイター 五嶋 耀祥(ひな)の『宇宙人』と話そう

皆さん、こんにちは。宇宙ビジョンクリエイターの五嶋 耀祥(ひな)です。今回のゲストは、HIREC株式会社 代表取締役社長の上森規光さんです。私と同じ北海道出身で、1985年に宇宙開発事業団(現JAXA)へ入社。ロケットや人工衛星の技術開発を起点に、安全・信頼性、予算、国際連携、有人宇宙へと、仕事の領域を広げてきました。

欧州宇宙機関(ESA)本部での研修や、JAXAワシントン所長としての駐在を通じ、欧米の宇宙政策や産業の変化を間近で見てきた上森さん。約40年のキャリアをたどりながら、世界から見た日本企業の強み、宇宙ビジネスを次の成長につなげる条件、そして宇宙開発を支える「安全・信頼性」のこれからを伺いました。(ナビゲーター=五嶋 耀祥/文=JMP総合プロデューサー 長谷川浩和)

今回のゲスト

HIREC株式会社 代表取締役社長 上森 規光さん(写真左)

1961年、北海道札幌市生まれ。北海道大学理学部化学第二学科卒業。1985年に宇宙開発事業団(現JAXA)へ入社し、人工衛星用バッテリーの研究開発をはじめ、企画・予算、国際連携、安全・信頼性など幅広い業務に携わる。JAXAワシントン駐在員事務所長、有人安全審査会議長、有人宇宙技術部門事業推進部長、安全・信頼性推進部長などを歴任。2022年にJAXAを定年退職し、同年6月よりHIREC株式会社代表取締役社長。

聞き手

ハッピー・ファム合同会社 代表/社会起業家・ITコンサルタント
五嶋 耀祥(ひな)さん

北海道苫小牧市出身。苫小牧工業高等専門学校で情報工学と電子生産システム工学を学び、卒業後はシステムエンジニアとしてビッグデータ解析や業務システムの構築に従事。その後、大学事務職や子育てを経て、2015年にNPO北海道ネウボラを設立し地域支援を開始。2019年にハッピー・ファム合同会社を設立し、DX推進・IT教育・宇宙産業支援・女性や親子支援など多分野で活動。2021年には一般社団法人ファミリー支援INV協会を創設し代表理事を務める。IT、福祉、教育を横断しながら、地域課題の解決と宇宙産業の裾野拡大に取り組んでいる。

一度の名刺交換から、北海道での共創へ

五嶋 上森さんとは今、北海道での取り組みをはじめ、いろいろな場面でご一緒しています。改めて振り返ると、最初にお会いしたのは3年ほど前のSPACETIDEでしたね。

上森 懇親会で名刺交換をしたのが最初でした。五嶋さんの名刺を見ると、「札幌」「苫小牧高専」、それに当時HIRECでも関心のあった半導体技術の「FPGA」と、気になる言葉がいくつもあったんです。私は札幌出身なので、以前から北海道の宇宙産業に何か貢献したいと思っていました。当時HIRECではFPGAに関わる技術者を探していましたし、高専との接点も広げたいと考えていた。五嶋さんの名刺には、ちょうど当時の私が関心を持っていた言葉が並んでいたんです。「一度きちんと話してみたい」と思いました。

五嶋 私は宇宙業界で活動を広げようとしていた時期で、大きなカンファレンスにも積極的に足を運び始めていました。会も終盤というところで上森さんを見かけて、思い切って声をかけたのを覚えています。

上森 後から当時の写真を見返してみると、まだ知り合う前なのに、五嶋さんが他の方と名刺交換している後ろに偶然、私が料理を物色している姿が映り込んでいて、笑いました。

五嶋 そうでした(笑)。その時には、数年後に北海道で一緒に活動しているなんて想像していませんでした。

上森 人とのつながりは、後にならないと分からないものですよね。私にとってあの時期は、HIRECという会社をもう少し外へ開いていこうと考え始めた時期でもありました。それまでは、カンファレンスや展示会に積極的に出る会社ではありませんでした。でも、会社の中にいるだけでは、新しい接点はなかなか生まれません。

そこで、まず自分から外へ出るようにしました。すると、社員も少しずつ外に出るようになったんです。会社として外との接点を増やそうとしていた時期に五嶋さんと出会ったというのも、今振り返ると一つの縁だったと思います。

五嶋 振り返ると、今ご一緒している北海道での活動も、あの時の名刺交換が始まりなんですよね。やっぱり、人に会いに行くことは大事だなと思います。

一通の手紙から始まった、40年の宇宙キャリア

五嶋 ここからは上森さんのキャリアを最初からたどりたいと思います。札幌で育たれていますが、幼い頃から宇宙を仕事にしようと考えていたのでしょうか。

上森 そこまで明確ではありませんでした。幼稚園くらいの時に、とても大きな火球を見た記憶があります。それが印象に残っていたのか、小学生の頃にクラスで天体観測が流行った時、父に天体望遠鏡を買ってもらいました。当時の札幌は今よりずっと暗く、特に冬は星がきれいに見えました。2、3年は天体観測を続けていましたね。

五嶋 そこから自然に宇宙へ進んだわけではない。

上森 全然違います。中学、高校の頃に興味を持ったのは化学でした。ノーベル化学賞の記事などをよく読んでいて、「自分も化学者になってノーベル賞を取りたい」と思っていました。そのまま北海道大学へ進み、理学部で化学を専攻しました。ただ、大学生の頃は将来についてそれほど明確に考えていたわけではありません。

五嶋 宇宙への進路を決めたのは、大学4年生になってからだったそうですね。

上森 そうなんです。北海道新聞に、人に焦点を当てた記事が載っていました。当時の宇宙開発事業団の理事長と宇宙科学研究所の所長が、ともに北海道出身だという内容でした。「北海道出身者が日本の宇宙開発を引っ張っている」と知って、「宇宙か。面白そうだな」と思った。それで、宇宙の仕事へ行こうと決めました。

五嶋 それまで宇宙開発事業団について詳しく調べていたわけでもないのですよね。

上森 まったく知りませんでした。どこにあるのかも知らなかった(笑)。種子島からロケットを打ち上げているので、宇宙開発事業団は種子島にあるのだろうと思ったんです。でも住所が分からない。そこで「鹿児島県種子島町 宇宙開発事業団御中」とだけ書いて、入りたいという手紙を送りました。

五嶋 今ではなかなか考えられない方法ですね。

上森 インターネットもありませんでしたからね。すると、東京から返信が届きました。種子島の方が東京の人事部へ転送してくださったのでしょう。応募するなら大学の先生の推薦状などを用意して、10月の試験を受けに来なさいと書いてあった。それで受験して、1985年4月に入社しました。

五嶋 所在地も分からない。それでも、まず手紙を出してみた。その一通が、結果的に40年近い宇宙のキャリアにつながったんですね。

上森 結果的には、タイミングにも恵まれました。私が応募した直後には宇宙飛行士の募集も始まり、宇宙開発事業団への注目が高まっていった時期でした。毛利衛さん、向井千秋さん、土井隆雄さんが宇宙開発事業団に入ったのも、同じ1985年です。翌年には種子島で一緒に研修を受ける機会もありました。当時は今ほど宇宙開発が広く知られていない時代でしたが、日本の宇宙開発が社会から注目され始める、その入口にいたのだと思います。

「全部つながってくる」。技術者から組織を動かす側へ

五嶋 宇宙開発事業団に入社して、最初の配属は角田ロケット開発センターでした。

上森 大学で化学を専攻していたので、固体ロケットの開発試験に携わりました。その後、液体ロケットの試験にも関わり、隣接する航空宇宙技術研究所で液体ロケットエンジンのシミュレーションも勉強させてもらいました。コンピュータ上で燃料の流れやエンジン内部の挙動を計算する。そういう仕事を通じて、ロケットエンジンへの理解も深まりました。

五嶋 最初に漠然と抱いていた「ロケットをやりたい」という希望は、かなったわけですね。

上森 そうですね。ただ、その後は筑波へ異動して、人工衛星用バッテリーの開発を担当しました。ロケットから移ったばかりの当時は、正直、ずいぶん地味な仕事に感じました(笑)。ロケットは打ち上がれば、多くの人の目に触れます。一方、人工衛星のバッテリーは中に入っていて、外からは見えない。まさに黒子ですよね。

五嶋 それでも約6年半携わっています。上森さんのキャリアの中でも、一つの仕事としては最も長い期間だったそうですね。

上森 そうなんです。そして、長くやったからこそ身についたものがありました。一番大きかったのは、「データをきちんと取ること」の重要性です。振り返れば、角田でロケットを扱っていた時も同じでした。まずシミュレーションをする。そして実際に試験をし、データを取り、予測と照らし合わせていく。

バッテリーでも、性能や寿命についてデータを積み上げて判断する。特に宇宙では、一度打ち上げてしまえば簡単に取り戻せません。地上でどこまで確かな根拠を持てるかが重要です。

五嶋 1993年には有人宇宙システム株式会社へ出向し、安全・信頼性に関わる仕事を経験します。現在のHIRECにつながる仕事でもありますね。

上森 そうです。そこで、ロケットや人工衛星、有人宇宙活動などを安全かつ確実に進めるための「セーフティ・アンド・ミッション・アシュアランス」を学びました。安全性や信頼性、品質を総合的に管理する考え方です。その経験が、後のJAXAでの安全・信頼性の仕事につながり、今のHIRECにも生きています。当時は、もちろんそんな未来を想像していませんでした。後から振り返ると、本当にいろいろな経験がつながってくるんですよね。

五嶋 まさに「全部つながってくる」。

上森 そうなんです。その時には将来どう生きるか分からなくても、後になって、その経験が別の仕事で生きることがあるんです。

五嶋 さらに1996年には、技術の現場から予算課へ移っています。

上森 当時の予算課は、宇宙開発事業団全体を俯瞰して見ることが求められる部署でした。翌年度予算をまとめ、当時の科学技術庁へ各プロジェクトの必要性を説明する。当時の宇宙開発事業団の予算は約1800億円でしたから、ロケットや衛星など個別のプロジェクトだけでなく、組織全体の事業を理解する必要がありました。

そこで学んだのが、「役職ではなく、仕事そのものに忠実である」という姿勢です。自分が課長代理であっても、必要な情報がなければ部長に確認する。上から言われたことをこなすだけではなく、自分の責任で仕事を前に進めていく感覚を身につけました。

五嶋 技術者から、徐々に組織全体を動かす側へ移っていったんですね。

上森 そうですね。技術者には、一つの分野を深く極めていく人もいます。一方で私は、いろいろな部署を経験し、人や組織をつないでいく方が向いていたのだと思います。振り返れば、上司もそういう資質を見てくれていたのかもしれません。

パリで学んだ「存在感」、ワシントンで見た「企業が主役」

五嶋 上森さんのキャリアをたどると、国際経験の厚みも印象的です。最初の転機は2001年、欧州宇宙機関(ESA)の本部があるパリでした。

上森 1年間の海外研修制度を利用しました。日本とヨーロッパの宇宙機関の間で、新しい共同研究のテーマをつくれないか。いろいろな関係者を訪ねて話を聞き、提案していく仕事でした。

五嶋 実際に海外の組織に入って仕事をして、最初に感じた違いは何でしたか。

上森 自分の意見や存在を、きちんと示すことですね。ESAは加盟国が多いので、さまざまな国の人たちと調整します。そこで驚いたのは、皆さんが、自分の考えや希望を明確に伝えることでした。会議でも、日本人なら遅れて入った時には静かに後ろに座り、様子を見ることが多いと思います。でも、向こうではまず自分が来たことを示して、すぐ議論に入る。国際的な場では、黙っていては自分の考えが伝わらないこともあります。自分が何を考えているのか、きちんと示さなければいけない。それは強く感じました。

五嶋 その経験から、海外で仕事をしたいという思いも強くなったのですね。

上森 パリが非常に好きになったので、その後はずっとパリ駐在を希望していました(笑)。ところが、約10年後に海外駐在の話が来た時、赴任先はワシントンでした。

五嶋 念願の海外赴任ではあるけれど、場所は違った。

上森 そうです。ただ、海外で仕事をしたいという希望には違いありませんでしたから、2010年にワシントンへ行きました。

五嶋 JAXAワシントン所長として、どのような仕事をしていたのでしょうか。

上森 大きく言えば、NASAとの調整と、米国の宇宙政策・産業に関する情報収集です。ワシントンでは宇宙関係のカンファレンスやシンポジウムが頻繁に開かれていましたから、そうした場へ出て、米国で今何が起きているのかを把握していました。そして毎週月曜日の朝、JAXAの理事長や理事といった幹部へ週刊レポートを送るんです。

五嶋 取材して、記事を書くような仕事ですね。

上森 まさにそうです。平日に情報を集めて、週末にレポートを書く。大変でしたが、米国の宇宙産業を継続的に見るという意味では、非常に勉強になりました。

五嶋 2010年前後というと、SpaceXをはじめとする民間企業が存在感を高め始めた時期です。

上森 そうですね。新しい企業が次々に出てくる様子を間近で見ました。そこで一番印象に残ったのが、「企業が主役」という感覚です。企業が自分たちのやりたいことを明確にし、企業同士で議論する。必要であれば、その意見を政府や政治へ伝える。政府は、民間の挑戦を後押しする側にいるという意識が強い。

五嶋 その米国の姿を見た上で、日本の宇宙産業がさらに成長するためには、何が必要だと感じますか。

上森 もっと自由奔放であってもいいと思いますね。日本には優れた技術がありますから、企業が自分たちの構想をもっと前に出してもいい。ただ、新しいことを始めようとした時に、制度や既存の枠組みに慎重になり過ぎるところはあると思います。

米国ではロビイストが企業の意見を議員や政府へ届け、政策や予算につなぐ役割を果たしていました。日本でも企業側から「こうしたい」と提案し、産業をつくっていく動きがもっと増えていいと思います。

五嶋 帰国後はNASAと直接やり取りする仕事も続きますね。

上森 2013年からは有人安全審査会議長を務め、日本側で行った安全審査の結果をNASAへ説明する役割を担いました。有人宇宙はNASAだけでなく、カナダやロシアなどとの調整もあります。英語も、勉強してから仕事をしたというより、仕事で必要だから使い続け、その中で身につけていった感覚です。英語力だけでなく、自分が何を考えているのかをきちんと伝えることも大事なのだと思います。

「信頼性」を、ニュースペースの競争力に変える

五嶋 そして2022年、JAXAを定年退職し、HIRECの代表取締役社長に就任されました。ここでも、それまでのキャリアがつながっているのですね。

上森 そうですね。HIRECへの転身も、ご縁でした。前社長は、私が人工衛星用バッテリーの開発をしていた頃からの先輩でした。有人宇宙の安全審査でも近いキャリアを歩んでいた方で、その方から後任として声をかけていただきました。

私自身、1990年代から安全・信頼性の仕事を経験し、JAXAでもその分野に長く関わっていましたから、これまでの経験を生かせる仕事だと思いました。

五嶋 宇宙業界以外の読者にも分かるように、そもそもHIRECはどのような会社なのか教えていただけますか。

上森 宇宙で使われる部品や機器を、安全性・信頼性・品質の面から支える会社です。宇宙へ送り出したものは、地上の機器のように、壊れたら簡単に部品を交換することができません。ですから、適切な部品や機器を選び、地上で評価や試験を重ね、宇宙での故障リスクをできるだけ抑えておく必要があります。

そのための技術や考え方は、JAXAをはじめ、日本の宇宙開発の中で長年蓄積されてきました。そうした安全・信頼性の知見をもとに、部品の選定や評価、試験、品質管理などを支えるのが、HIRECの大きな役割です。

五嶋 ロケットや衛星そのものをつくる会社とは、少し違う立ち位置ですね。

上森 そうですね。宇宙機を開発する企業のそばで、「この部品で大丈夫か」「必要な試験は何か」「どこまで確認すれば、ミッションに必要な信頼性を確保できるか」といったことを考える仕事です。目立つ領域ではありませんが、宇宙ミッションの成功を支える重要な仕事です。

五嶋 一方で、いま宇宙産業では、民間主導で新しい宇宙ビジネスに挑む「ニュースペース」の企業が増え、開発の考え方も変わっています。

上森 そこは、従来の宇宙開発との大きな違いですね。ニュースペースでは、短いサイクルで開発・打ち上げを行い、その結果を次の改善につなげていく考え方が広がっています。

従来の宇宙開発は、一つの衛星を長期間かけて開発し、できる限りリスクを減らしてから打ち上げるという考え方でした。求められる考え方は、ミッションの目的や事業モデルによって変わります。

五嶋 従来と同じ品質保証を、そのままスタートアップに求めることも難しい。

上森 そうです。大規模な宇宙プロジェクトと同じ水準の試験や品質保証をすべて求めれば、当然、時間もコストもかかります。それではニュースペースの持つスピード感が損なわれてしまう。一方で、開発を繰り返す中で問題が起きた時には、これまで宇宙開発で蓄積してきた安全・信頼性の知見が役に立ちます。

だから、HIRECもニュースペースに合わせて、サービスのあり方を広げていく必要があると思っています。これまでの大企業向けの品質保証だけではなく、ニュースペース企業が導入しやすい、よりコストエフェクティブな信頼性・品質管理を提供していく。長年培ってきた知見を、新しい宇宙産業でも使える形にしていきたいと考えています。

五嶋 私は、そこにHIRECならではの価値があると思っています。以前、宇宙スタートアップを取材した時にも、「本当は検査をしたい。でも非常にコストがかかる」という話を聞きました。新しい企業も、品質を軽視したいわけではありません。ミッションを成功させるために検査はしたい。でも、従来と同じコストや時間はかけられない。だからこそ、「このミッションなら、どこまで確認すべきか」を見極められる知見が重要だと思うんです。その知見があれば、挑戦もしやすくなると思います。HIRECが、これまでの宇宙開発で培われた知見とニュースペースをつなぐ「架け橋」のような存在になれるのではないでしょうか。

上森 そういう役割を果たしていきたいですね。安全や信頼性を、挑戦を止めるものではなく、成功を支える力にしていきたいと思います。

次の成長を支えるのは「宇宙を使う側」

五嶋 最後に、日本の宇宙ビジネスの可能性について伺います。上森さんは1980年代から日本の宇宙開発を見てきましたが、現在をどう捉えていますか。

上森 日本の宇宙産業には、まだ大きな成長余地があると思います。私が予算課にいた頃、宇宙開発事業団の年間予算は約1800億円で、当時としては過去最高でした。今は宇宙分野へ投じられる資金も大きく増えていますし、宇宙戦略基金など、産業を後押しする仕組みも整いつつあります。北海道だけではなく、神奈川や静岡、北九州など、それぞれの地域で宇宙産業を育てようという動きが出てきています。

五嶋 一方で上森さんは、「供給する側と同時に、使う側を増やすことも必要だ」とお話しされていました。

上森 これからは、そこが大きなテーマになると思います。今、多数の人工衛星を連携させる衛星コンステレーションやロケットなど、宇宙のサービスを提供する事業者への支援が進み、新しいプレイヤーも増えています。サービスを提供する側が増える一方で、それを利用するユーザーも育てなければ、産業として持続していきません。これからは「宇宙を使う側」をもっと増やしていく必要があります。

五嶋 今、私たちが札幌で取り組んでいる活動も、そこにつながっていますね。

上森 そうです。札幌であれば、除雪や熊への対策といった地域課題があります。農業が盛んな地域なら、農地を効率的に管理したいというニーズもあるでしょう。

地域によって課題は違います。まず現場の課題があって、その解決策の一つとして宇宙を使う。そうやって地上側のユーザーを増やしていくことが、宇宙ビジネスの裾野を広げると思います。

五嶋 私も同じように感じます。「民間利用」と言っても、宇宙はまだ多くの企業や地域にとって遠い存在です。でも、除雪や農業など、自分たちが実際に抱えている課題とつながれば、「宇宙を使えるかもしれない」と気づいた時、初めて自分ごとになると思うんです。

世界との比較という点では、日本企業にはどんな可能性があると考えていますか。

上森 日本企業の技術力は、宇宙でも大きな強みになると思います。自動車、家電、電子機器をはじめ、日本には地上で高い技術を磨いてきた産業がたくさんあります。そうした企業がもっと宇宙へ入ってくれば、日本の宇宙産業はさらに発展できると思います。

これからの宇宙産業は、宇宙企業だけでつくるものではないと思います。これまで地上産業で技術を磨いてきた企業が宇宙へ入ってくることに、期待しています。

五嶋 日本には技術があり、宇宙への投資も増えている。次に問われるのは、宇宙を「使う企業」をどう増やしていくか、ということですね。

上森 そう思います。

五嶋 最後に、約40年にわたり宇宙に携わってきた上森さんが、これから取り組んでいきたいことを教えてください。

上森 これだけ長く宇宙の仕事に携われたことは、本当に恵まれていたと思います。宇宙開発事業団、JAXAでいろいろな上司や仲間に出会いました。海外へ行けば、それまで知らなかった考え方や人にも触れることができた。そこから多くのことを学びました。

今はセカンドキャリアです。これまで自分が経験したことや、宇宙の仕事を通じて得た実感や感動を、今度は次の世代へ伝えていきたい。それが、今の自分の仕事の一つだと思っています。

五嶋 私も北海道のラジオ番組などでご一緒していますが、上森さんには、長く宇宙開発の現場にいたからこそ語れる話が本当にたくさんあります。今回も初めて聞くお話がいくつもありました。こうした経験を私たちが学ぶだけでなく、若い世代にも伝えていきたいと改めて思いました。まだまだ伺いたいことがありますので、これからもぜひ聞かせてください。

上森 ありがとうございます。

取材を終えて

SpaceStepで好評連載中の「宇宙クイズ」や、札幌での宇宙・半導体をテーマとした取り組みなど、JMPはこれまでも上森さんに大変お世話になってきました。普段からお話を伺う機会は多いのですが、約40年のキャリアを改めてたどると、初めて知るエピソードがいくつもありました。

ロケット、人工衛星、安全・信頼性、予算、国際連携、有人宇宙。宇宙開発事業団、JAXAで積み重ねてきた経験の幅にも驚きましたが、とりわけ印象的だったのは、パリやワシントン、NASAとの実務を通じて世界の宇宙開発の現場を見てきたことです。日本の技術力への評価も、民間がより主体的に動くべきだという提言も、実際に世界の現場で仕事をしてきた上森さんだからこそ語れる言葉だと感じました。

そして現在、上森さんが率いるHIRECも、宇宙に欠かせない「安全・信頼性」を支える、いわば宇宙産業の縁の下の力持ちです。長年培ってきた知見を、ニュースペースのスピードやコストに合わせてどう生かすのか。上森さんが語った新たな挑戦には、これからHIRECが担う役割がよく表れていると感じました。五嶋さんが表現した「これまでの宇宙開発とニュースペースをつなぐ架け橋」という言葉が、まさにその役割を言い表しているように思います。

実は取材が終わった後も、上森さん、五嶋さんとの話は続きました。気がつけば、早くも「次のSpaceStep」の企画の話で盛り上がっていました。ここからどんな企画が生まれるのか。これから少しずつお伝えしていきますので、ぜひご期待ください。(文=JMP総合プロデューサー長谷川浩和)

併せて読みたい:親子で楽しむ!宇宙クイズ

▼宇宙ビジネスのトレンドを毎日掲載!

宇宙ビジネスを身近にする『SpaceStep』