皆さん、こんにちは。宇宙ビジョンクリエイターの五嶋 耀祥(ひな)です。宇宙ビジネスは、ロケットや人工衛星で「空へ向かう」ことだけを意味するものではありません。宇宙から地球を見つめ、そこから得られるデータを、暮らしや産業、地域課題の解決にどう生かしていくのか。その問いは、これからの宇宙ビジネスを考えるうえで、ますます重要になっています。今回、ゲストにお迎えしたのは、衛星データプラットフォーム「Tellus」を展開する株式会社Tellus 代表取締役社長の山﨑秀人さん。宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)でキャリアを歩み始め、経済産業省への出向経験や、さくらインターネットを経て、宇宙とデータの接点を切り拓いてきた山﨑さんに、宇宙との出会い、Tellus誕生の背景、そして宇宙情報産業の未来について伺いました。(ナビゲーター=五嶋 耀祥/文=JMP総合プロデューサー長谷川浩和)
今回のゲスト

株式会社Tellus 代表取締役社長
山﨑 秀人さん
2001年、宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)に入社。国際調整業務をはじめ、地球観測衛星「だいち」の防災利用、小惑星探査機「はやぶさ」関連業務などに従事。その後、経済産業省宇宙産業室への出向、JAXA新事業促進部を経て、さくらインターネットでTellusプロジェクトを推進。現在は株式会社Tellus代表取締役社長として、衛星データプラットフォーム「Tellus」を通じ、衛星データの利活用拡大と宇宙情報産業の創出に取り組む。
聞き手

ハッピー・ファム合同会社 代表/社会起業家・ITコンサルタント
五嶋 耀祥(ひな)さん
北海道苫小牧市出身。苫小牧工業高等専門学校で情報工学と電子生産システム工学を学び、卒業後はシステムエンジニアとしてビッグデータ解析や業務システムの構築に従事。その後、大学事務職や子育てを経て、2015年にNPO北海道ネウボラを設立し地域支援を開始。2019年にハッピー・ファム合同会社を設立し、DX推進・IT教育・宇宙産業支援・女性や親子支援など多分野で活動。2021年には一般社団法人ファミリー支援INV協会を創設し代表理事を務める。IT、福祉、教育を横断しながら、地域課題の解決と宇宙産業の裾野拡大に取り組んでいる。
五嶋 本日はよろしくお願いいたします。山﨑さんとは、HIREC株式会社の上森規光さんを通じてご紹介いただいたのが最初でした。上森さんと山﨑さんは、JAXA時代から国際協力の現場でつながりがあったそうですね。
山﨑 そうですね。上森さんとは、JAXA時代からご一緒してきました。NASDA国際部にいた頃、上森さんがESAとの人材交流でパリに行かれることがあり、その流れでも接点がありました。その後、上森さんがHIRECの社長になられてから、五嶋さんをご紹介いただきました。
当時、私はさくらインターネットにいました。さくらインターネットは北海道に大規模なデータセンターを構えており、道内との接点も多い会社です。そうした流れもあり、北海道でイベントをご一緒する機会もありました。
五嶋 私自身、苫小牧高専の出身ということもあり、さくらインターネットさんには以前から親しみがありました。田中邦裕社長から「これから宇宙をやる」というお話を伺ったこともあり、インターネットの会社が宇宙領域に踏み出していくことに、強く惹かれていました。
以前、東京の仲間と衛星データのスタートアップを立ち上げようとした時期がありました。その頃、一般の方にもTellusに触れてもらうワークショップを開いたことがあります。もっと幅広い方に触れてもらう場を想定していたのですが、実際には大学の先生や宇宙関係のエンジニア、大手通信会社の方々など、専門性の高い方も多く集まりました。衛星データへの関心の高さを感じる一方で、一般の方にとっては、まだ入口が見えにくい領域なのだと実感しました。
山﨑 衛星データは、どうしても専門性の高い分野に見られがちです。ただ、本来はより多くの人に開かれるべきものだと思っています。地域の課題や暮らしに近いところにも、衛星データが役立つ場面はあります。
五嶋 衛星データというと、まだ少し遠いものに聞こえるかもしれません。しかし、山﨑さんのお話を伺うと、その距離感は少し変わってきそうです。今日は、山﨑さんがどのように宇宙と関わり、なぜTellusという事業に取り組むようになったのか。その歩みから伺っていきたいと思います。
五嶋 この連載では、ゲストの皆さんに、宇宙とつながる原点から伺っています。山﨑さんは、子どもの頃から宇宙に強い関心を持っていたのでしょうか。
山﨑 実は、幼い頃から宇宙だけを追いかけていたわけではありません。大学も法学部でしたし、就職活動の時も、「100年後に残る仕事がしたい。国際的な仕事がしたい」という思いでしたが、「宇宙を開発しよう」とは思っていませんでした。
ただ、結果的に振り返ってみるとなのですが、宇宙との接点はあった気がします。小さい時、家にあった百科事典で、バイキングが撮影した火星の写真を見たことがありました。その時に「この場所は、どんなにおいがするのだろう」と想像したことを、今でも覚えています。
五嶋 火星の写真を見て、においまで想像されたのですね。
山﨑 もちろん実際にそこに立てるわけではありません。でも、写真を見ながら、そこにはどんな空気があり、どんな感覚があるのかを想像していました。少し怖さも感じる写真でしたが、だからこそ強く記憶に残ったのだと思います。
その記憶は、後に思いがけない形で、宇宙開発の現場とつながることになります。JAXAで働くようになり、「はやぶさ」の関係で、NASAの深宇宙局(DSN)をお借りしていたので、NASAのジェット推進研究所(JPL)を訪れたことがありました。その時、同じテーブルにいたNASAの女性エンジニアの方から、「なぜ宇宙開発に関わったのか?」と聞かれました。
そこで、子どもの頃に百科事典で火星の写真を見て、「どんなにおいがするのだろう」と思った話をしました。すると、その方が実はバイキングの運用に関わっていた方だったのです。そして、「あなたのような子が宇宙開発の世界に入ったことも、私のミッションの成功の一つですね」と言ってくださいました。あれは、今でもよく覚えています。
五嶋 幼い頃に見た一枚の写真が、長い時間を経て、宇宙開発の現場と響き合ったようなお話ですね。最初から宇宙を仕事にしようと決めていたわけではなくても、幼い頃に残った感覚が、山﨑さんの歩みの中で少しずつ意味を帯びていったのだと感じます。
五嶋 山﨑さんは2001年にNASDA、現在のJAXAに入られています。当時はどのような思いで進路を選ばれたのでしょうか。
山﨑 入社した2001年は、就職氷河期の只中でしたが、自分が大切にしていた軸が二つありました。一つは「100年後に残るような仕事がしたい」ということ。もう一つは「国際的な仕事がしたい」ということでした。この観点で、重工業や総合商社などを訪問していたのですが、その中で出会ったのが、NASDAでした。
宇宙開発は、短い時間軸では語れない仕事だと感じました。自分が関わったことが、長い時間をかけて残っていくかもしれない。その点に惹かれました。宇宙への強い憧れから入ったというよりも、自分が大事にしたい仕事の時間軸や、国際性を考えた時に、NASDAという選択肢がありました。
五嶋 「宇宙が好きだから宇宙へ」というより、「長く残る仕事」「国際的な仕事」という軸の先に宇宙があったのですね。
山﨑 そうです。私は高校時代にラグビーをやっていて、オーストラリア遠征やホームステイも経験しました。大学のチームにはアメリカ人の仲間もいました。海外の人と話すことや、自分たちとは違う文化に触れることが、単純に面白かったんです。そうした経験も、国際的な仕事への関心につながっていたと思います。
NASDAに入って最初に担当したのも、国際調整業務でした。NASAとの調整などに関わりながら、宇宙開発が国と国、組織と組織の協力によって進んでいくものだということを、現場で学んでいきました。
五嶋 宇宙開発というと、理系の研究者や技術者の世界という印象が強いですが、山﨑さんの場合は、法学部で学ばれたことや国際的な関心も含めて、宇宙の世界に入っていかれたのですね。
山﨑 そうですね。もちろん技術は重要です。ただ、宇宙開発は技術だけで動くものではありません。国際協力、制度、予算、組織、そして人と人との信頼関係が必要です。文系出身だからこそ、制度や調整、国際協力の面から関われる余地があったのだと思います。
五嶋 NASDA、そしてJAXAという宇宙開発の現場に入ってみて、どのような面白さを感じましたか。
山﨑 入ってみて面白かったのは、自分たちで提案し、プロジェクトを立ち上げていく文化でした。国の機関ですから、民間企業とは異なる部分もあります。一方で、現場から「これをやりたい」という思いが生まれ、それをプロジェクトとして形にしていく面白さがありました。
最初は国際調整の仕事をしていました。たとえば、アジア太平洋地域の宇宙機関が集まる枠組みに関わり、海外機関との協力関係をつくる仕事もありました。もともとは国内で開催されていたものを、当時の上司とともに、韓国との共催にする提案をしたこともあります。その後、タイやオーストラリアなどにも共催方式が広がっていきました。
五嶋 宇宙の仕事でありながら、国際関係やプロジェクトづくりの力が問われる仕事でもあったのですね。
山﨑 はい。宇宙開発は、一つの組織だけで完結するものではありません。研究者、技術者、行政、民間企業、海外機関など、さまざまな立場の人が関わります。そこで大事なのは、自分の構想を一方的に押し出すことではありません。相手にとっての意味や便益を考えながら、合意をつくっていくことです。
五嶋 その視点は、後のTellusにもつながっているように感じます。衛星データを持つ人、使う人、政策をつくる人、インフラを整える人。それぞれの立場をつなぎ、仕組みとして成立させていく必要がありますよね。
山﨑 そうですね。新しいことを進める時には、同じ景色を見られる仲間をつくることが欠かせません。ただ、それには時間がかかります。前提知識も違えば、熱量も違います。だからこそ、相手が何を大切にしているのか、どこに不安を感じているのかを理解する必要があります。
五嶋 山﨑さんのキャリアの中では、小惑星探査機「はやぶさ」に関わった経験も大きかったのではないでしょうか。
山﨑 大きな転機の一つでした。「はやぶさ」は、外から見ると華やかなプロジェクトに映るかもしれません。しかし現場では、多くの方々が努力を重ね、難しい局面を一つずつ乗り越えていました。
私が関わった時期は、プロジェクトとして大変な場面がありましたし宇宙科学研究所(ISAS)の先生方と、筑波のJAXA側とでは、組織文化にも違いがありました。宇宙科学研究所は、研究者の先生方の内発的な動機を軸に動く文化があります。一方で、筑波のJAXAのプロジェクトとして進めるには、国から与えられるミッション要求があり、予算、説明責任、外部との関係も欠かせません。
五嶋 研究所の文化と、組織としてのプロジェクト運営。その間をつなぐ役割が必要だったのですね。
山﨑 そうです。先生方が必ずしも得意としない部分で成果を出し、仲間として認めてもらうことが大切でした。研究に集中できる環境を整えることも、自分に求められた役割だったのだと思います。
はやぶさの経験を通じて、プロジェクトマネジメントをきちんと学びたいと思うようになりました。技術そのものだけでなく、人や組織をどう動かすのか。異なる文化を持つ人たちが、どうすれば同じ方向を向けるのか。その問いが、自分の中で大きくなっていきました。
五嶋 宇宙開発の現場は、壮大な夢を追う場所であると同時に、とても現実的な調整と積み重ねの場でもあるのですね。
山﨑 そうですね。宇宙開発は、外から見ると華やかに映ります。でも中にいる人たちは、本当に地道な努力を重ねています。好きなことだけをやれるわけではありません。実際の仕事の多くは、地道な調整と、思い通りに進まない局面への対応の積み重ねです。それでも、その積み重ねがあるからこそ、世界で初めてのミッションや、確かな成果につながっていくのだと思います。
五嶋 宇宙科学研究所での経験から、科学そのものの面白さも感じられたと伺いました。
山﨑 宇宙科学研究所では、科学者の方々の純粋な好奇心に触れました。たとえば「はやぶさ2」では、小惑星にインパクター(衝突装置)をぶつけ、人工クレーターをつくるミッションがありました。
はやぶさ2本体からインパクターを切り離した後に、タイマーでインパクターを小惑星に衝突させるのですが、タイマーの間にはやぶさ本体は小惑星の裏側に移動して、インパクターの衝突による粉塵からのダメージを避ける議論をされていました。
その際に私は無邪気に「(小惑星はラブルパイルと言われ、とても脆いと聞いていたので)もし、はやぶさ2が小惑星の裏側に隠れても、インパクターが小惑星を貫通してはやぶさ2が壊れてしまったらどうするのですか?」と聞いたことがあります。すると先生は、「そうなったら、それはそれで面白い発見だよね」とおっしゃったんです。
五嶋 科学者らしい言葉ですね。リスクを軽く見ているのではなく、予想外の結果も新しい知の入口として受け止める。その受け止め方に、科学者としての強さを感じます。
山﨑 そうですね。もちろん、安全や計画は大切です。ただ、やってみなければわからないことに向き合い、その結果から学ぶ。その姿勢に、科学の面白さを感じました。
ビジネスの世界では、失敗を避け、計画通りに進めることが求められます。一方で、科学には「予想と違う結果が出たなら、それは新しい発見かもしれない」という見方があります。これは、私にとって大きな視点の転換でした。
五嶋 国際協力、組織マネジメント、科学への理解。その一つひとつが、後のTellusにつながっていくのですね。
五嶋 Tellusの原型となる発想は、かなり早い段階からあったと伺いました。どのような課題感から生まれたのでしょうか。
山﨑 2000年代半ば、地球観測衛星「だいち」の防災利用に関わる中で、大量の衛星データを扱う難しさを感じていました。衛星データには、地上からは捉えにくい状況を広域で把握できる価値があります。たとえば災害時には、洪水や地震の被害状況を広く捉えることができます。地上の被害に左右されにくい点も、衛星ならではの強みです。
ただ、当時はデータ量が大きく、解析にも大きな計算機資源が必要でした。今のように、手元のPCやクラウド環境で柔軟に扱える時代ではありませんでした。JAXA内にある大型コンピューターを使って解析するのが一般的だった時代です。
つまり、どれだけ価値のあるデータでも、動かせなければ使える人は限られてしまう。そこに、解くべき課題があると感じました。
五嶋 衛星データそのものに価値があっても、使える環境がなければ社会には広がらないということですね。
山﨑 そうです。その頃ちょうど、クラウドコンピューテイングという技術が出始めていました。当時はまだ難しくても、いずれクラウド上で大容量のデータを扱える時代が来る。そうなれば、衛星データも、より多くの人に使ってもらえるのではないか。その発想が、後のTellusの原型になりました。
当時は、個人の利用でもブロードバンドが広がり、インターネット上で扱われるコンテンツも急速に大きくなっていく時期でした。インフラが整うことで、できることが一気に広がっていく。その変化を見ながら、衛星データも同じように開かれていくべきだと考えていました。
五嶋 今ではクラウド上でデータを扱うことは当たり前になっていますが、その発想を衛星データに持ち込むには、かなり早い段階から技術と社会の変化を見ている必要があったのだと感じます。
山﨑 当時は、まだ同じ景色を共有することが簡単ではありませんでした。新しい事業をつくる時には、構想をともに描ける仲間づくりが必要です。どれだけ説明を重ねても、そこに至るまでには時間がかかります。受け手側の前提知識も違いますし、熱量も違います。そこは、今でも経営をしながら感じていることです。
五嶋 その構想は、どのように事業化へつながっていったのでしょうか。
山﨑 当時のJAXAで、データ利用を大きな事業として進めることは簡単ではありませんでした。ロケットや衛星をつくる仕事は分かりやすい。一方で、データをどう使うか、どう広げるかという領域は、当時はまだ、組織として大きく扱われるテーマではありませんでした。
その後、経済産業省に出向する機会を得ました。経産省では、政策立案の面白さを学びました。経産省では宇宙予算が潤沢にあるわけではないからこそ、人とアイデアで勝負する文化がありました。日本の経済を豊かにするというミッションのもとで、議論を重ね、提案を形にしていく環境がありました。
そこで、日本の衛星データをクラウド上でオープン化する研究開発を提案しました。多くの方がその意義を感じてくださり、政策として形にしていくことになりました。そして、その研究開発がさくらインターネットが参画し、事業として動き始めました。
五嶋 そこから山﨑さんご自身も、JAXAに戻るのではなく、Tellusを事業として育てる側に立つ決断をされたのですね。
山﨑 はい、経産省の出向後にJAXAには帰任して、業務をしていたのですが、縁あって、このプロジェクトを最後までやらなければいけないと思いました。チャンスに出会えた。チャンスにも気づいた。では、その先で挑戦しない人で終わるのか。それとも、結果がどうであれ、挑戦した人間になるのか。そう考えた時に、最後までやろうと思いました。必ずうまくいくという確信があったわけではありません。それでも、応援してくれた人たちの思いも含めて、自分が最後まで向き合うべきだと感じました。
五嶋 政策として立ち上げるだけではなく、社会実装まで引き受ける。その覚悟があったからこそ、Tellusは今につながっているのですね。
山﨑 政府のプロジェクトは、制度として立ち上がった時点で一区切りになることもあります。でも、衛星データを本当に使ってもらうためには、そこから先が大事です。使える環境をつくり、利用者を増やし、ビジネスや研究の現場に届けていく。そのためには、最後まで向き合う人が必要だと思いました。
五嶋 宇宙ビジネスにまだなじみのない読者に向けて、改めてTellusとはどのようなものなのか教えてください。
山﨑 地球の周りでは、多くの衛星が日々データを取得しています。その衛星が観測したデータを、クラウド上で利用できるようにしているのがTellusです。ユーザーはクラウド上で衛星データにアクセスし、研究や新規事業の検討に活用することができます。
衛星データというと、専門家だけのものと思われがちです。しかし本来は、より幅広い人や組織が活用できるものです。防災、都市開発、農業、インフラ管理など、幅広い分野で活用の余地があります。
五嶋 私自身も北海道で、除雪DXに衛星データを生かす可能性を探っています。雪や道路、地域の暮らしと結びつくと、衛星データはぐっと現実味を帯びますね。
山﨑 衛星データだけですべてを解決するのではなく、さまざまなデータの一つとして衛星データを位置づける必要があります。たとえば除雪であれば、衛星データに加え、道路情報、気象データ、現場で得られる情報も関係します。複数のデータを組み合わせることで、初めて判断に使える情報が見えてくる。Tellusは、そのための土台になれると考えています。
五嶋 衛星データを「宇宙のデータ」として遠くに置くのではなく、地域の課題を解くための一つの材料として使う。その考え方が鍵になるのですね。
山﨑 そう思います。衛星データは、地球規模で取得されるデータです。だからこそ、地域課題にもグローバルな事業にも応用できます。ただし、使う側の課題と結びつかなければ価値にはなりません。Tellusは、データを使いたい人、サービスをつくりたい人、研究を進めたい人が、まず試せる場でありたいと考えています。
五嶋 最近はAIの進化もあり、衛星データの使い方も変わってきているように感じます。
山﨑 衛星データの使い方は、いま大きく変わり始めています。これまでは、人が画像を見て、解析して、グラフを出すという使い方が中心でした。しかし生成AIの技術が進むことで、地図や地理空間データを、会話しながら読み解ける時代が近づいています。これからは、専門的な操作を重ねなくても、必要な判断材料を得るような使い方が広がると思います。
たとえば災害時に、「自分はいま、どちらへ向かえば安全なのか」をスマートフォンに話しかけながら確認できるようになるかもしれません。線状降水帯の情報や地図情報を重ね合わせ、土地勘のない場所でも、より安全な判断を支援できる。そうした使い方は、すでに現実味を帯び始めていると思います。
五嶋 衛星データが、専門家の解析のためだけではなく、一人ひとりの判断を支える情報になっていくのですね。
山﨑 そうです。そのためには、質の良いデータが必要です。AIを活用するにも、土台となる良質なデータが欠かせません。Tellusは、衛星データを蓄積し、使いやすい形で提供することで、次のAI活用にもつなげていきたいと考えています。
五嶋 専門的な知識が必要だった衛星データが、対話的に使えるようになれば、自治体や企業、教育現場、地域のプレイヤーにも活用の余地が広がりますね。
山﨑 そうですね。衛星データを扱うには、ITやAIの素養も必要です。ただ、生成AIの進化によって、その壁は少しずつ下がっていくはずです。初めての方にはまず体験してもらい、具体的な課題を持つ方には使い方を提案していく。そうした段階的な支援も、これから重要になると考えています。
五嶋 山﨑さんは、宇宙産業は「宇宙製造業」だけでなく、「宇宙情報産業」へ広がっていく必要があるとお話しされています。
山﨑 これまでの宇宙産業は、ロケットや衛星といったハードウェアを中心に発展してきました。もちろん、それはこれからも重要です。一方で世界を見ると、宇宙から得られるデータや宇宙空間での情報処理など、情報産業としての広がりも生まれています。
私は、宇宙製造業と宇宙情報産業は両輪だと思っています。日本でも、衛星をつくるだけではなく、そこから得られるデータをどう使い、どう産業に育てていくかが問われています。
五嶋 宇宙を「つくる」だけでなく、「使う」時代に入っているのですね。
山﨑 はい。衛星が増えれば、そこから生まれるデータも増えていきます。そのデータをきちんと扱い、使いたい人に届け、ビジネスや社会課題の解決につなげていく。そこに、民間企業が担うべき役割があると思っています。
五嶋 宇宙を社会の中で使えるものにしていくには、データを扱う仕組みと、それを価値に変える人の存在が欠かせないのですね。
山﨑 そうです。衛星を打ち上げるだけでは、社会に価値は届きません。そこから得られるデータをどう扱うのか。誰が使えるようにするのか。どのような課題解決につなげるのか。そこまで含めて考えることで、宇宙は地上の産業や暮らしの中で使われるものになっていくのだと思います。
五嶋 衛星データは、国内だけでなく、グローバルにも展開しやすい領域なのでしょうか。
山﨑 衛星データは、国境を越えて地球規模で取得されるデータです。だからこそ、国内で磨いたモデルを海外へ展開する道も見えてきます。
ただし、海外展開においても、衛星データ単独で完結させるのではなく、現地のデータや課題認識と組み合わせることが欠かせません。日本で実証した仕組みを、海外の課題に合わせて展開していく。そうした形で、世界に通用するプロダクトをつくることができるのではないかと思っています。
五嶋 日本の宇宙産業が、世界で存在感を高めていく一つの道にもなりそうですね。
山﨑 そうですね。私は、日本がもう一度、世界に誇れる製品やサービスを生み出せる国になってほしいと思っています。かつて日本には、世界に誇れるプロダクトが数多くありました。次の世代が誇りを持って働き、世界に出していけるものを、もう一度つくりたい。その中で、宇宙産業は有力な選択肢の一つになると思います。
五嶋 それは、衛星データに限らず、宇宙産業全体への期待でもありますね。
山﨑 はい。宇宙は、人類の活動領域を広げる産業でもあります。月や火星に人が安全に行けるようになれば、人類の活動領域は広がり、そこには新しい経済圏も生まれていきます。宇宙製造業と宇宙情報産業の両方を育てながら、日本としても世界に貢献できる領域をつくっていきたいと思っています。
五嶋 宇宙ビジネスに興味はあるけれど、自分には遠い世界だと感じている方も多いと思います。そうした方々に、どのようなメッセージを伝えたいですか。
山﨑 関心があるなら、まず関わってみることだと思います。宇宙ビジネスは、これから市場も担い手も広がっていく領域です。だからこそ、他の産業では得がたい経験に関われる可能性があります。
若い人には、特に挑戦してほしいです。「若さ」は、後から買い戻すことのできない資産です。残念ながらこれからは、安定した道を選べば安心できるとは限りません。だからこそ、好奇心を大切にして、失敗してもいいから、まずやってみる。若いうちの失敗には、後になって効いてくる学びがあります。
五嶋 「若いうちは失敗してもいい」という言葉には、山﨑さんご自身の歩みも重なりますね。
山﨑 そうですね。挑戦して初めて、成功や失敗という結果が生まれます。チャンスに出会えないこともあります。出会っても気づかないこともある。気づいても、挑戦しないまま通り過ぎてしまうこともある。けれど、挑戦しなければ、成功も失敗も経験できません。
もちろん、すべての人が大きなリスクを取る必要はありません。ミドルシニアの方であれば、リスクを見極めながら関わることもできます。まずは小さく関わってみる。扉を叩いてみる。その一歩だけでも、見えてくる景色は変わると思います。
五嶋 宇宙ビジネスは、限られた専門家だけのものではなく、関心を持った人が少しずつ関われる領域になっているのですね。
山﨑 はい。宇宙は遠いように見えますが、衛星データはすでに地上の課題を考えるための材料になっています。防災、地域課題、産業の効率化、教育など、入り口はいくつもあります。大切なのは、自分の関心や課題とどう結びつけるかです。
五嶋 山﨑さんは経営者として、どのようなことを大切にされていますか。
山﨑 私は経営者としては新参者で、まだよちよち歩きなのが正直なところですが、社員とは、できるだけ本音で向き合うことを大切にしています。うまくいったことだけではなく、失敗したことや学んだことも共有します。新しいことに取り組む時、最初から正解が用意されているわけではありません。だからこそ、まず動き、そこから学び、自分自身を変えていくことが大切です。
私は、リクルート創業期の「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という考え方を大切にしています。機会を待つのではなく、自分でつくる。そして、その機会に向き合うことで、自分自身も変わっていく。Tellusも、まさにそうした挑戦の中にあります。
五嶋 山﨑さんのお話を伺っていると、衛星データのプラットフォームをつくるという事業の話でありながら、機会をどう捉え、どう行動するかという経営のお話でもあるように感じました。
山﨑 事業をつくるというのは、技術だけではありません。人を巻き込み、課題を見つけ、仕組みをつくり、継続していくことです。Tellusの挑戦も、まだ道半ばです。ただ、衛星データをより多くの人に使ってもらい、宇宙情報産業という新しい領域を育てていくために、これからも挑戦を続けていきたいと思っています。
今回の取材で特に嬉しかったのは、山﨑さんがJMP(JapanStep Media Project)の目指す「挑戦を生み出す」という考え方に、深く共感してくださったことでした。宇宙ビジネスというテーマを前にすると、どうしても技術や産業構造の話に目が向きます。しかし、山﨑さんのお話の根底にあったのは、チャンスに気づいた時、自分は挑戦する側に立つのかという問いでした。
衛星データは今、防災、まちづくり、地域課題、そして日々の暮らしを支える情報インフラになりつつあります。宇宙を「つくる」ことに加え、宇宙を「使う」時代へ。Tellusの挑戦は、その変化を支える取り組みでもあります。
同時に、こうしたプラットフォームは、これから宇宙ビジネスに参画しようとする読者の皆さんにとっても、新たなチャンスに出会う舞台になるのではないかと感じました。衛星データを専門家だけのものにせず、まず触れてみる。自分の仕事や地域の課題と結びつけて考えてみる。その一歩から、新しい事業や共創の芽が生まれていくのだと思います。
今回の対談で、五嶋さんと山﨑さんが繰り返し語っていたのも、「まず関わってみること」の大切さでした。宇宙ビジネスは、遠くにある特別な世界ではありません。使えるデータがあり、それを試せる場があり、自分の課題と結びつけようとする人がいる。その接点から、次の挑戦は始まるのだと思います。(文=JMP総合プロデューサー長谷川浩和)