皆さん、こんにちは。宇宙ビジョンクリエイターの五嶋 耀祥(ひな)です。宇宙ビジネスに挑む多彩なゲスト=「宇宙人」をお招きし、対話を通じて宇宙の楽しさと可能性を探っていく本連載。今回のゲストは、NECグループの宇宙事業の一翼を担い、人工衛星やロケットに搭載する機器の開発・製造・試験を手がけるNECスペーステクノロジー株式会社 代表取締役 執行役員社長(取材当時)の片桐秀樹さんです。片桐さんがなぜ宇宙事業を手がけるようになったのか、NECグループという大きな組織の中で、具体的に何をされてきたのか、宇宙ビジネスの最前線で活躍する片桐さんとの対話を通じて、その面白さを探っていきます。(ナビゲーター=五嶋 耀祥/文=SpaceStepプロデューサー長谷川浩和)
今回のゲスト

NECスペーステクノロジー株式会社 代表取締役 執行役員社長(取材当時)
片桐 秀樹 さん
2021年6月にNECスペーステクノロジー株式会社の代表取締役 執行役員社長に就任。NECグループの宇宙事業の一翼を担い、人工衛星やロケットに搭載する機器の開発・製造・試験を手がける同社を率いる。宇宙利用を社会インフラとして支える重要性を掲げながら、高信頼な宇宙機搭載機器の提供を通じて、日本と世界の宇宙開発を支えている。
聞き手

ハッピー・ファム合同会社 代表/社会起業家・ITコンサルタント
五嶋 耀祥(ひな)さん
北海道苫小牧市出身。苫小牧工業高等専門学校で情報工学と電子生産システム工学を学び、卒業後はシステムエンジニアとしてビッグデータ解析や業務システムの構築に従事。その後、大学事務職や子育てを経て、2015年にNPO北海道ネウボラを設立し地域支援を開始。2019年にハッピー・ファム合同会社を設立し、DX推進・IT教育・宇宙産業支援・女性や親子支援など多分野で活動。2021年には一般社団法人ファミリー支援INV協会を創設し代表理事を務める。ITと福祉、教育を横断するソーシャルビジネスの担い手として注目される。
五嶋 本日はよろしくお願いいたします。まずは、NECスペーステクノロジー様がどのような事業を行っているのか、簡単にお教えいただけますでしょうか。
片桐 NECスペーステクノロジーはNECの100%子会社で、宇宙に関連する人工衛星やロケットに搭載される電子機器の開発・製造・販売を担っている会社です。世界を見渡しても、衛星とロケットの電子機器だけにフォーカスしている企業は非常に珍しいと思います。この特殊な領域で、世界や日本の宇宙開発のためにさまざまな挑戦を続けています。世界中の衛星開発に貢献したいという強い思いで、社員と共に日々挑んでいます。
五嶋 ありがとうございます。実は片桐社長と私は、HIREC株式会社の代表取締役社長である上森規光さんを通じてご縁をいただきました。上森さんはJAXAのご出身で、片桐社長にとっては長年のお客様でもあり、またビジネスパートナーでもあると伺っています。
片桐 そうですね。上森さんがJAXA時代にも継続的にお話しする機会がありましたし、HIRECの社長になられてからは、部品を調達して衛星製品に仕上げるという関係で、非常に深く議論を重ねています。上森さんも私も北海道出身ということで、「北海道で何か貢献できたら」というお話になり、ご紹介いただいたのが五嶋さんでした。
五嶋 初めてお会いしたのは、旭川でのリクルート活動の時でしたね。猛吹雪で飛行機が欠航してしまい、千歳から電車を乗り継いで深夜に到着されたという、過酷な状況での初対面が非常に印象に残っています。
片桐 旭川空港は雪でも欠航になりにくい空港なのですが、あの日は運悪く止まってしまったんですよね。大変な移動でした。
五嶋 そんな北海道の地から、片桐社長がどのように宇宙と出会い、今に至るのかについてお伺いしたいと思います。幼少期はどのようなお子さんだったのでしょうか。
片桐 私は北海道伊達市の、有珠山という活火山の麓で生まれました。父親が国鉄の職員だったので、だいたい3年から5年のペースで転勤があり、小学校を3校、中学校を2校、高校を1校と、北海道内を転々と移動していました。どこへ行っても星空がきれいで、それが当たり前だと思って育ちましたね。
国鉄職員であった父と一緒に移動していた時、常に駅のそばにいたという片桐さん。中学当時にいつも見ていた風景(写真提供=片桐秀樹)
五嶋 私も生まれも育ちも北海道なのでよくわかりますが、本当に星がきれいですよね。子どもの頃から宇宙や理系分野に興味があったのですか?
片桐 小学校の頃から算数や理科が好きで、逆に国語は大嫌いでした(笑)。そのため、自然と理系に進むことになりましたね。大学進学を機に上京し、電気電子工学を専攻しました。上京して空を眺めてみると、東京の空には天の川が見えず、星も数えるほどしかないことに気づき、北海道の自然の豊かさを改めて感じました。
五嶋 そこから宇宙への思いは、どのようにつながっていったのでしょうか。
片桐 高校時代は今でいうオタク気質だった面もありまして(笑)、当時坂本龍馬に関する本ばかり読んでいたんです。そして大学を卒業する時に、坂本龍馬の墓参りに行きました。ご存じのとおり、坂本龍馬は日本を変えることに生涯をささげた人物です。だから私も、「宇宙で世界を変えたい」と墓の前で誓った記憶があります。宇宙という、自分には手の届かない空間を舞台に、誰もがやれないような大きな挑戦をしたいという漠然とした夢を抱いていました。
五嶋 胸が熱くなるエピソードですね! その後、NECに入社されたわけですが、最初から宇宙事業を志望されていたのですか?
片桐 当時はバブル期で、何をやりたいかよりも「どこの会社に入るか」が重視される時代でした。NECに採用していただき、「無線をやらせてください」と希望しました。面接のとき、パソコンがトップシェアの会社なのに「コンピュータは嫌いです」と言ってしまったんです。本当に若かったですね(笑)。幸いにも無線の部門に配属され、「宇宙のコンポーネント設計」の組織を希望しました。
五嶋 そこからいよいよ、宇宙を仕事にされる当事者となったのですね。当初はどのような業務を担当されていたのでしょうか。
片桐 宇宙用のデジタル技術を使った通信機器の開発です。インテルサットから研究開発を受託したり、NASDA(現JAXA)の研究開発を受託したりして、将来の宇宙で利用する通信機器がどういうものかを分析し、開発を行っていました。

入社3年目頃の片桐さん。渡米前の一枚(写真提供=片桐秀樹)
五嶋 当時の日本の宇宙産業は、どのような状況だったのでしょうか。
片桐 当時は、人工衛星の機器というとNEC、東芝、三菱電機の3社が中心でした。明確な役割分担というよりは、それぞれの得意領域を担いながら、衛星を作り上げていく関係でした。逆に言えば、今ほど競争がなく、成長の必要性が薄かった時代でもあったかもしれません。
五嶋 日本の宇宙開発の黎明期から、NECグループは深く関わってこられたのですね。改めて、NECグループとしての宇宙領域における強みや歴史を教えていただけますか。
片桐 NECは宇宙開発における老舗の一社だと思っています。1950年代のロケット用テレメトリ装置納入に始まり、1970年代には「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる東京大学の糸川英夫教授の指導のもと、日本初の人工衛星「おおすみ」の開発にも携わりました。親会社であるNECは、2027年に宇宙事業創業70周年の節目を迎えます。この70年の歴史の中で、日本の宇宙開発とともに、さまざまなものづくりに挑戦してきました。
五嶋 70年もの歴史があるというのは、何よりの強みですね。その中で、どのような技術や強みが磨かれてきたのでしょうか。
片桐 世界でも初めての技術に挑戦し続けてきた企業だと思います。その代わり、世界で初めてのことというのはなかなか商売にならず、会社の中では肩身の狭い思いをすることもありました。しかし、NECスペーステクノロジーが目指しているのは、NECの衛星の装置だけを作るのではなく、ロケットの装置や、他の企業が担当する装置にも私たちの製品をお届けすることです。私たちの技術によって、知らず知らずのうちに宇宙を世界の人々にとって身近なものにし、多くの皆さまに貢献したいと強く願っています。
(引用=NECスペーステクノロジーカタログ)
五嶋 とても熱い思いですね。普段、宇宙にあまり馴染みのない読者の方々に向けて、具体的に人工衛星やロケットの中で、御社の機器がどのように使われているのかを教えていただけますか。
片桐 はい。人工衛星は宇宙空間に行ってもコンセントがありませんから、自分で電力を作らなければなりません。そのためには太陽電池パネルが必要であり、これも私たちの重要な製品の一つです。ただ、衛星は常に太陽を向いているわけではなく、停電状態になる時間も必ずあります。そのため、太陽電池パネルで発電したエネルギーを蓄電するバッテリーも私たちが手掛けています。さらに、この電力を使って衛星を遠隔制御するための通信機器、衛星の姿勢を特定・維持するための姿勢制御装置や計算機、ネットワーク機器なども私たちの製品です。
(引用=NECスペーステクノロジーカタログ)
五嶋 本当に幅広い機器を手掛けていらっしゃるのですね。
片桐 例えば、赤道上空3万6,000キロにある静止衛星の場合、地球の直径のおよそ3個分に相当する距離になります。そこまで行くと電波は非常に微弱になりますが、その微弱な電波をしっかりと受信し、増幅する機器も私たちが開発しています。逆に地上へ強力なパワーで送信する装置も、私たちが開発しています。こうしたバラエティに富んだ電子機器の開発に挑戦し続けています。
五嶋 御社のあらゆる機器やソリューションがなければ、今飛んでいる衛星は成り立たないのだと改めて実感しました。一方で、宇宙空間で使われる機器を作ることの「難しさ」とは、具体的にどのような点にあるのでしょうか。
片桐 一番の難しさは、宇宙に行ったら「直しに行けない」「メンテナンスができない」ということです。何か一つでも故障があれば、致命的な事態につながるリスクがあります。例えば太陽電池パネルが動かなければ電力が得られず、衛星全体が機能しなくなってしまいます。つまり、100%に近い品質を実現しなければ宇宙空間で動き続けることはできません。通信衛星などは15年以上の寿命が求められるケースもあります。15年間、過酷な宇宙環境で絶対に壊れずに動き続けるものを作るというのは、極めて難しいことなのです。
五嶋 おっしゃる通り、一度打ち上げたら手直しができないプレッシャーは計り知れません。まさに「言うは易く行うは難し」ですね。以前、巨額な予算を使って作られた政府の府省統合システムに関わったことがあるのですが、ただ指示された設計で作ってもうまくいかないことが多いと感じます。まして、絶対に壊れてはいけない宇宙環境で、確実な品質を担保するというのは、難しいお仕事ですよね。
片桐 常に責任とプレッシャーを感じながら仕事をしています。ですが、それを乗り越えて、誰にもできないものを成し遂げた時の達成感は格別です。仲間とその喜びを分かち合える世界を見られるからこそ、また次も挑戦しようと思えるのです。
五嶋 近年、世界の宇宙ビジネスは急速な変化を遂げています。長らくJAXAなどの研究開発を中心に進んできた日本の宇宙産業ですが、現在の状況や立ち位置について、片桐社長はどのようにご覧になっていますか?