「宇宙」や「宇宙ビジネス」と聞くと、どこか遠い世界の話に感じてしまう人も多いかもしれません。専門的で難しそう――私も、最初はそう思っていました。
でも実は、宇宙への入口って、もっと身近で、もっと気軽でもいいんです。例えば映画や動画、ニュースで「へえ、面白い!」と思うところからでも十分。
この連載「コスモ女子の”ふわり、宇宙遊泳”」では、宇宙領域の女性コミュニティ「コスモ女子」の活動や、日常の視点で宇宙を楽しむエピソードをお届けします。肩の力を抜いて、ふわっと宇宙に思いをはせてもらえたらうれしいです。(語り手=塔本愛さん、文=SpaceStep編集部)
お話いただいたのは
コスモ女子 代表
塔本 愛 さん
こんにちは!コスモ女子代表の塔本愛(とのもと・あい)です。
私たちコスモ女子は「宇宙を趣味に、宇宙を仕事に」をテーマに活動する女性中心のコミュニティです。毎月、宇宙の知識を学べる講座や交流会を開催し、「憧れ」だった宇宙を「キャリアの選択肢」にしていくための活動を続けています。
2024年8月には、未経験メンバー中心で人工衛星の打ち上げに挑戦し、東京都内の地上局での通信に成功しました(女性中心のコミュニティとして日本初)。※インタビュー記事「ゼロからの衛星づくり~「Emma」製造から打ち上げの軌跡(前編)」もあわせてご覧ください。
今回は、コスモ女子が主催した、「宇宙の基礎から、産業の未来まで学べる」イベントの内容から、私が特にワクワクした「宇宙開発のはじまり」をお届けします。講師としてお越しいただいたのは、天文学者としてキャリアをスタートし、JAXAで研究に携わりながら複数の宇宙ベンチャーの立ち上げやアドバイザーを手がけている上野 宗孝先生です。
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙探査イノベーションハブ 技術主幹 上野 宗孝 先生
今のロケットや人工衛星につながる宇宙開発は、実はとても素朴なところから始まりました。
1926年、アメリカのロバート・ゴダード博士が、世界で初めて液体燃料ロケットの打ち上げに成功しました。といっても、その姿は今のロケットとはほど遠く、どこか“大きな花火”のような雰囲気だったそうです。

(出典:Wikipedia)ロバート・ゴダード博士と彼が開発した最初の液体燃料ロケット
そのわずか数年後の1929年、ある映画が公開されます。
オーストリアの映画監督フリッツ・ラングが制作した、サイレント映画「月世界旅行(Frau im Mond)」です。音声はなく、上映時間は2時間40分。当時はもちろん、月の様子は想像で描くしかありませんでした。
それでもこの作品は、「ロケットに乗って人が月へ行く」という未来を、映像として初めて“具体的に見せた”映画でした。私はここがいちばん好きなポイントです。宇宙開発の始まりには、技術だけでなく、想像力がしっかり関わっていたんですね。
"Woman In The Moon(Frau Im Mond)" (1929, Fritz Lang(パブリックドメイン)
この映画に強い影響を受けたのが、のちに宇宙開発を率いる2人の人物です。
旧ソビエト連邦(以下、ソ連)のセルゲイ・コロリョフと、アメリカでアポロ計画を進めたヴェルナー・フォン・ブラウン。2人とも、「この映画を見て宇宙を目指した」と語っています 。
(出典:Wikipedia)(左から)セルゲイ・コロリョフ、ヴェルナー・フォン・ブラウン
やがて宇宙開発は、アメリカとソ連による激しい競争の時代に入ります。
1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。人類は初めて、地球の外に“人工物”を送り出したのです。
(出典:Wikipedia)世界初の人工衛星スプートニク。「スプートニク・ショック」と呼ばれ、米ソ宇宙開発競争の幕開けに
アメリカは後れを取りますが、その数か月後に「エクスプローラー1号」を打ち上げ、追い上げを開始します。ちなみにこの時代の衛星は、太陽電池もなく、積んだ電池が切れるまでしか動かない――そんな、とてもシンプルなものでした。
「宇宙開発」は、最初から完璧だったわけではありません。
映画の想像力、花火のようなロケット、手探りの人工衛星。そんな積み重ねの先に、今の宇宙技術があります。人類の宇宙への挑戦は、夢と試行錯誤から静かに始まっていったのです。
人工衛星の打ち上げでは、しばらくソ連がアメリカより一歩先を走り続けていました。その状況に危機感を抱いたアメリカが、大きな決断をします。
1962年、当時のケネディ大統領はこう宣言しました。
「10年以内に、人類を月へ送る」。
まだ人工衛星を上げるのがやっとだった時代に、国として「絶対にやる」と決めてしまう。今の感覚で考えても、とても大胆な目標です。この決断が、宇宙開発のスピードを一気に引き上げました。
ケネディ大統領の宣言から、実際に月へ到達するまでにかかった時間は10年ではありませんでした。
1969年、わずか7年後。
アポロ11号が月面に到達し、人類は初めて月に立ちます。
(出典:朝日新聞YouTube)アポロ11号 月面着陸の映像
人工衛星がようやく飛び始めた時代から、たった数年での到達です。この背景には、アメリカとソ連の激しい競争がありました。「相手に負けたくない」という気持ちが、技術を急速に進化させていった面もあったのだと思います。
この時代、日本も宇宙開発に挑戦していました。
日本初の人工衛星「おおすみ」は、1970年2月11日、世界で4番目の打ち上げ成功。ソ連、アメリカ、フランスに続く順位でした。
今の印象からは意外かもしれませんが、日本はかなり早い段階から宇宙に挑んでいたのです。

(出典:Wikipedia)日本初の人工衛星「おおすみ」。ロケットで人工衛星を軌道に投入する技術の獲得を目的として開発され、約33年間、地球を周回しました
ただし、この頃の宇宙開発には大きな特徴がありました。
それは、とにかく最先端で、特別なものだったということです。
国の威信をかけた巨大プロジェクト。
限られた専門家だけが関われる世界。
宇宙は、日常から遠い存在であり続けました。
サイレント映画の中の想像から始まった宇宙への挑戦は、国家プロジェクトを経て、少しずつ形を変えてきました。そして今、宇宙は「一部の天才や国だけのもの」から、多くの人が関われる分野へと移り変わろうとしています。
次回は、その流れが、どう「宇宙ビジネス」につながっていくのか。もっと身近な視点でお話していきます。(つづく)